その蛇は妖を斬った刀。
蛇
「主、第一部隊、帰還した」
開け放たれた襖から薄い緑色が顔を出す。
「ああ、お疲れ様」
机に向かっていた男は眼鏡の奥の視線を移した。
「傷を負った者は居るかい?」
「いや、負傷者は居ない。だが刀装は何人か剥げた」
「そうか。確かまだ特上刀装は有ったね」
審神者は立ち上がり部屋を出る。二人は刀装保管部屋へと歩いていった。
庭で遊ぶ短刀達はマフラーをしている。冷たい風が通り抜け、審神者は黒手袋の手を裾に入れて組んだ。
「あ、お帰り」
クリーム色のふわりとした空気が通り掛かる。
「兄者!」
橙色の視線がかち合い、膝丸はぱあっと表情を変えた。
「今日のお土産は何だい?」
「ああ、今日は昨日言った饅頭を買って来た!」
「ふふ、それは楽しみだ」
髭切が微笑むと、膝丸は本当に可愛い笑顔になる。
「膝丸」
審神者は頬を綻ばせながらも視線を投げた。
「あ…兄者、取り敢えず先に刀装管理をしなければ…。饅頭は鶯丸に渡しておいたから、先に食べててくれ」
「そうなのかい。まあ用事が終わるまで部屋で待ってるから」
「すまない、兄者」
髭切は手を振って通り過ぎる。審神者は少し歩く速さを緩めた。
此処の髭切が顕現されたのは、少し遅かった。
膝丸は初太刀でこそないが、わりとすぐ落ちたのだが。
此処の近侍は膝丸である事が多い。
戦闘も事務仕事も、膝丸は優秀だった。
「出来た弟を持って僕も鼻が高いよ」
「なっ!いきなりどうした兄者!」
饅頭を食べ終えて茶を啜る髭切の言い草に、膝丸は咽せる。
「いや、別にね」
膝丸は動揺していたが、嬉しそうににやついていた。
「そろそろ頃あいかもしれないね」
「何の話だ兄者」
いや、こっちの話と髭切は濁す。偶に何を考えているのかわからない、と膝丸は思った。
ふ、と冷たい風が入る。髭切は部屋を出て、審神者の部屋に行った。
入っていいかい、と声を掛けると、どうぞ、と返ってくる。髭切が襖を開けると、審神者は座って本を読んでいた。
「君、気配を消すのが上手いね」
「何の事かな」
審神者は本を閉じ、緋色の眼を髭切に向ける。
「さっき僕達を見てたけしょ。今日だけじゃない。何時も部屋の前で聞き耳を立ててるね」
「おやおや、まるで私がストーカーみたいじゃないか」
「違うのかい」
「どうだろうね」
髭切は笑っていない。
「いつも考えてたんだ。なんで主は僕と弟を同じ部隊で出陣させないのか。たまたまかな、って思ってたけど、意図的だね」
「まさか」
「弟に何かしたら斬っちゃうよ」
髭切は声のトーンを落とす。
「あの時みたいに」
審神者は眼を細めた。太刀の放つ殺気に怯む事は無い。
ただ、黒手袋の両手を握り合いめていた。
「別に何もしないよ。今となってはね」
審神者の言い草に、髭切も眼を細める。
遠くで髭切を呼ぶ膝丸の声がして、空気が変わった。
何だい、と髭切は答え、視界から消える。
「…察しが良すぎると、嫌われるよ」
審神者はそう呟いた。
呪いは、気付かぬうちにばら撒かれる。
「貴様!!!貴様あ!!!!」
怒濤の声が響き渡り、審神者は目を覚ました。
「審神者!!!!!貴様ああ!!!!!」
勢い良く襖が開き、審神者は起き上がる。
「どうしたんだい、膝丸」
「兄者に何をした!!!!」
膝丸は怒りを全面に出した顔をしていた。子供だったら泣き出すほど恐ろしい。
「どうかしたのかい」
「どうしたじゃない!!!!兄者が!!!!兄者が!!!!!」
二人は寝巻きのまま手入れ部屋へ向かう。すでに本丸の人は全て集まっている。
布団が敷かれ、髭切が寝かされていた。
髭切は唸り声をあげ、苦しんでいる。周りの者は心配そうに見つめるが、額の濡れタオルを取り替えるくらいしか出来ない。
審神者は何も言えなかった。ただ、感情が渦巻く。
悲観や、不安や、戸惑いも、
歓喜も、
笑わなかったのが不思議なくらいだった。
髭切の顔には蛇の鱗が生えている。それを見て、膝丸は審神者の所為だと思ったのかもしれない。
「大丈夫だから」
審神者は髭切の胸に手を当て、神気を送り込む。すると髭切の呼吸が穏やかになった。
「兄者、兄者ぁ…」
膝丸は涙を零しながら崩れ落ちる。鶯丸がそんな膝丸を支えた。
審神者はそんな膝丸を見つめ、色んな感情に浸っていた。
「皆お腹空いたろう。此処は私と膝丸がいるから、朝食を食べておいで。まんば、今は君が皆を見ててね」
久しぶりに近侍を任され、初期刀の山姥切国広は頷く。彼の先導で皆は手入れ部屋を出て行った。
膝丸はただただ心配そうに涙を流す。審神者は引き続き神気を送っていた。
髭切の顔色が良くなり、鱗も無くなる。髭切が目を覚ますと、膝丸は大声で兄を呼んだ。
「もう大丈夫だよ…ええっと…」
「膝丸だ兄者!!」
いつものやりとりに審神者も肩を下ろす。髭切は膝丸の頭を撫でた。
「ほら、ちゃんと主に謝らないと」
「ああ…そうだな」
橙色の眼が審神者に向けられる。
「その…すまなかった。そんな事をする筈が無いのに、主の所為だとばかり…。謝罪する。そして、治療をありがとう」
「うん。動転しただけだよね。気にしないで」
審神者は腹の中は言葉にせず、膝丸の肩を叩いた。
いつの間にか眠っていた。
髭切の治療に神気を使い過ぎたのだろう。外を見ると、もう陽が落ちていた。
寝過ぎた、と後悔していると、白い布が部屋に入って来た。
「今日はあれから何も無かった。勝手にするわけにもいかないから、出陣、内番はしなかったぞ」
「ああ。皆を見てくれてありがとう」
山姥切はじ、と審神者を見る。どうしたんだい、と聞くと、顔が、と言われた。
「鱗が出てるぞ」
「ああ、ちょっと油断した」
審神者は顔を触る。ざら、とした感触はすぐに消えた。
初期刀である山姥切にだけは自分の正体を明かしてあるので、彼は特に慌てたりしない。審神者になって最初は、よくぼろが出た。
「膝丸を呼ぶか」
「ああ、そうだね」
山姥切はちら、と一瞬横を見る。
「あんたは膝丸のどこが好きなんだ?」
突然の質問に、審神者は一瞬考えた。
「頭が良いし強いし、キリッとかっこいいけど少し天然で、蛇に似てるところかな」
「蛇に」
「うん」
「だとさ」
咳払いが聞こえたかと思えば、顔を赤くした膝丸が顔を出す。
「わあ、聞いてたの」
棒読みでそう言うと、膝丸の顔は更に赤くなった。
山姥切は行ってしまい、膝丸は気まずそうに部屋に入ってくる。
「主は…俺が好きなのか?」
「当たり前だよ。じゃなきゃ近侍にしない」
「そ、そうか…てっきり俺は兄者が好きなのだと…」
「ええ…なんで…」
このままだとまた膝丸の兄者トークが始まってしまうな、と思い、辺りを見渡す。
「あ、そうだ小烏丸が良い酒をくれたんだ。一緒に呑もう」
「え、あ、しかし…」
動揺する膝丸をよそに、審神者は箪笥から酒瓶を取り出した。
「膝丸は私の事、嫌いになった?」
「は?いいや、決してそんな事はないぞ」
「じゃあ今から嫌いになっちゃうかもね」
「何を言う。主を嫌いになることなんて絶対に無い」
酒用のコップに小烏丸がくれた葡萄酒を注ぐ。小さく乾杯、と言って一口呑んだ。
「私が髭切を嫌いでも?」
沈黙が流れた。
ああ、どうしてそんな事言ってしまうんだ、と心の中で思う。
が、なんだか今は色々暴露したいし、それを聞いた膝丸の反応が見たかった。
「兄者を嫌いであるなんて、嘘だろう」
「ん?なんでそう思う?」
「それならば刀解すればいいだけの話だ」
思ったより膝丸は冷静に分析してくる。意外だった。
「それもそうだね」
「それに、そうなら俺と相部屋にしたり、今日みたいに直してくれたりしないだろう」
「んー、確かに」
もう一口呑む。
「それで、ええと、さっきの話だが」
「何?」
「俺は、その…そんなに蛇に似てるか…?」
「え、凄い似てるよ。気にしてたのかい?」
「いや、実は…万屋の娘に泣かれてしまって…」
羞恥と落ち込みで凄い顔をしている。酒を噴きそうになった。
「ああ…それは大変だったね…。でもそこが良い所だから」
「否定はしないのだな…」
「蛇の私から見たらとても好感の持てる蛇顔だよ」
「ありがとう…蛇が言うならそうだろ…ん?蛇?」
膝丸は二度見する。
「うん。私は蛇の妖怪だからね。有名なやつじゃないけど」
「え…は?」
「昔両腕を斬られたから、髭切の事怨んでたんだよね」
審神者はこれが証拠と黒手袋を外して見せた。びっしりと緑の鱗が生えている。
「でも今は怨んでないよ。あれは私が悪かったし、1000年以上前の話だしね」
膝丸はまだ混乱しているようで、はあ…とだけ言い、酒を煽った。
蛇の妖怪が審神者になるなんて、確かに滅多に無い話だろう。自分の主なら、尚更。
「あー。なんで言っちゃったかな」
酒が回りケタケタと笑い始める。審神者は酔うと笑い上戸になるタイプだった。
「私の事、嫌いになった?」
「いや、いいや!驚いたが、決してそんな事はないぞ!」
「でも私より髭切の事が好きだろう?」
「それはあたりま…いや、い、いや…」
「うんうん、そうだろうね」
別にそれを恨んでいるわけではない。膝丸にとってそれは当たり前だろうとも思っていた。
「最初は、私の腕を斬った髭切が憎くて、兄弟刀の膝丸の事も憎かったんだ。審神者になったのだって髭切に復讐する為だった。でも今は違うよ。君達の事を知って、…色々と知って、とても好きになったんだ」
膝丸は蛇の様な眼で審神者を見ている。
「好きだよ、膝丸」
自分でも驚くくらい気持ちが穏やかだった。
別にだからと言って何というわけではない。ただ自分は蛇として…妖怪として、…そして審神者として膝丸が好きだった。
だが、きっとこれは恋愛感情である事も知っている。ただ1000年以上生きているのに初めての感情だたから、まだ消化も開花も出来てないだけで。
そしてこれは人間の感情ではないとも思っていた。
その眼に、喰われたいと思ったのだ。
「…好かれるのは勿論嬉しい」
膝丸は視線を落とす。
「ただ、それ以上に兄者を好いてもらえたのが自分の事の様に嬉しい」
「…そうかい。…確かに君はそういう刀だね」
「主の事は主君として好きだ。兄者は、兄弟だから好きだ。きっとこの「好き」は言葉としては一緒だが、違うものなんだと思う」
「そうだね。「好き」と言ったって「ラヴ」と「ライク」も違うから」
「して欲しい事が有ったら闇討ちでも焼き討ちでも何でもする。主は主君だから。…好いているから」
「何でもするんだね?」
「ああ」
「じゃあ」
審神者は蛇の手で口を触る。
「口付けをしてくれるかい」
膝丸は眼を見開いて審神者を見る。
「せ、接吻か?」
「私が好きなんだろう?」
「だ、だが、それは」
「唇と唇を合わせる。ただそれだけだよ」
審神者が近寄ると、膝丸は意を決した様に向き直った。
「で…では…」
膝丸は目を閉じ、ゆっくりと顔を近付ける。
ただ唇が触れ合う。2秒して、それは離れた。
「…ありがとう」
審神者は小さな声で言った。
心臓は鳴っているが、穏やかな気持ちだ。
膝丸の顔は赤かった。酒が回った所為だろうか。
召集の鐘が鳴る。それは夕飯の合図だった。
「私は後で行くから、誰にも見れらないうちに食べに行っておいで」
「あ、ああ」
膝丸は弾かれた様に部屋を出ていく。
審神者は葡萄酒が切れるまで呑んでから朝まで眠った。
蛇の眼が、こちらを見ている。
そんな夢を見た。