第二章 最悪な目覚め

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  3.  

唇を噛み締めて瞼を閉じる。
葛藤したのは、ほんの数秒。答えは最初から決まっていたが、恐怖を振り払うために必要だった。
「………うん、そうだね」
目を開けた尊は、自分の耳にだけ届く声で独り言を零す。
そして、少年と繋いでいた手から力を抜いた。
少年の小さな手は、尊の手に縋りつくこともなくスルリと解ける。
相変わらず表情の読めない仮面で尊を見下ろしていたクライヴが肩を竦めた。
それが、呆れだったのか、侮蔑だったのか……尊に確かめる術はなかった。
「行くぞ」
クライヴの小手をつけた手が少年へと伸びるが、少年は逃げる素振りも抵抗する素振りも見せない。
その手が少年の肩を掴む前に、尊は両手を広げて少年を守るために立ちはだかった。

「逃げるの………止め、ます」

声が震える。手も震える。
見下ろすクライヴの視線が痛い。
こんなことをすれば間違なく殺される。そんなことは誰に指摘されるまでもなく分かっていた。
今、尊が生きているのは全てただのラッキーだ。
兵士の剣を避けなければ死んでいたし、木刀がなければ殺されていたし、クライヴの殺気に気付かなければ生きていなかった。
この空間には、背中合わせに『死』があった。
勝算なんかない。助かる見込みなんかない。
それでも。
怖くても、逃げ出したくても、少年を見捨てることは出来なかった。

「助けるられると思うのか」
「………やってみなくちゃ、分かりません」
足元に転がっていた木刀を拾う。
縋るように、指が白くなるほど柄を握り締めた。
「考え直すことだな。このことを忘れて去るならば、生きて帰してやろう」
告げられた言葉に尊は唇を噛んだ。
その言葉は侮辱以外の何物でもなかった。
「あたしはっ………人を見捨てて生き延びるような、そんな人間には育てられてない!」
父母と姉の顔を思い浮かべながら、尊は木刀を握り直した。

怖かった。逃げ出したかった。
だけど、死の恐怖よりも。
子供を見捨てて自分だけ生き延びる。
そんなことをして、優しくて正義感の強かった両親に軽蔑されることが怖い。

「後悔するぞ」
「しません。後悔は嫌いだから」
恐怖はあったが、尊の瞳に迷いはない。
訳の分からない状態で、未だに状況が把握出来ていない。それでも、自分がしなければいけないことぐらいは分かっていた。
自分より弱い者は何があったって守る。
それが両親と姉に教えられたことだ。両親が尊に遺してくれたものだ。
「ミコト……」
少年の小さな手が尊の服の裾を掴む。
どうすればいいのか分からない、不安そうな顔。
迷子になっていた俊太郎の顔と同じだった。
「大丈夫。絶対にあたしが守るから」
尊の顔に自然と笑顔が浮かぶ。
そっと少年の背中を押して後ろに下がらせると、木刀を下段に構えた。

背中を嫌な汗が伝う。危険信号が点滅している。
こんな緊張感は試合の時だって感じたことがない。
剣すら合わせていないが、尊には嫌と言うほど分かっていた。
レベルの桁が違いすぎる。
尊とて伊達に全国区の腕を持っているわけではない。立ち会えば、相手の力量など一目で分かる。
今の尊では、恐らく背後から襲いかかったとしても勝てないだろう。
それでも、少年を守るために負けられなかった。

「胴っ!!」
先手必勝。
木刀を袈裟斬りの逆の要領で、左脇から右肩を狙って斜めに振り上げる。
クライヴは一歩後ろに下がると、尊の先手をあっさりと子供の太刀を避けるが如くで避けてしまった。とんでもない反射神経と恐ろしい格闘センスの持ち主だ。
尊の木刀が振り上がったのを見て、クライヴが剣を水平に薙ぎ払う。
「くっ!」
尊は上半身を逸らしながら地面を蹴って後ろに飛ぶ。
着地など考えない。避けることだけに全てを賭けた。
制服のリボンを僅かに裂いて剣が通り抜ける。
「あだっ!」
石畳にぶつけた頭を涙目で押さえる。
ダメージは受けたが、だからこそ避けられた。
着地を前提に避けていれば、裂けていたのはリボンではなく身体だった。
「筋はいい。だが、実戦は初めてのようだな」
「……殺し合いって意味でなら……」
剣を引いて尋ねるクライヴに、頭の痛みを堪え立ち上がって答える。
額に浮いた冷汗がこめかみから顎へと伝う。
触れれば切れる本物の剣に、逆立ちしても勝ち目のない相手。けれど、退くことは出来ない。

「面白い……」
クライヴが身を屈める。怪訝そうに見つめる尊に、クライヴは兵士が落とした剣を拾って放った。
素人だと受け取れずにざっくりと斬れてしまいそうだが、道場や部活で竹刀を投げ渡されている尊はうまいこと柄の部分をキャッチした。
「あの、これ………?」
「その武器では相手にならん」
事もなく告げるクライヴ。それに驚いたのは尊だけではない。
「クライヴ!何を考えている!?」
敵に武器を贈るなどと言うクライヴに、上司(多分)である布男が怒鳴り散らす。
けれど、クライヴは戸惑った様子もなくきっぱりと言った。
「敵の排除が俺の仕事だが、方法は俺の勝手だ」
悪気もなさそうなところを見ると、布男と仮面男は地位的には同等なのかもしれない。
あまりに真正直な態度に怯んだのか、布男はそれ以上何かを言ってこなかった。
(この人、楽しんでる………)
呆れてしまいながら、剣の重さを確かめる。
少し迷ったが、剣を使うことにした。
本当は人殺しの道具なんか使いたくなかったが、木刀では切れるか折れるかの末路を歩むのは間違いない。
相手は鎧を着ているので、刃が当たっても怪我すらしないだろう。
負けるわけにはいかないのだから、チャンスを逃すことは出来ない。
獲物を構え、摺足でじりじりと間合いを計る二人。
尊の武器が木刀ならばクライヴはとっくに尊の間合いに入っているのだが、鋼で出来た重い剣では尊の間合いは狭まる。
だいたい、自分自身ですら自分の精確な間合いが計れないのだ。こうなれば、クライヴに先手を取らせるしかない。
尊は剣の柄を握ると、無遠慮にクライヴの間合いに飛び込んだ。
クライヴが動く。尊を両断する勢いで剣を振り下ろした。
瞬き一つしないで、尊は振り下ろされる剣を見つめる。
剣を受け止めさえすれば、必ず相手に隙が生まれるはずだ。
初太刀を避けることに集中しながら自分の剣を頭上に持っていく。
振り下ろされた剣を斜めに受け止める。

(重いっ……!?)

竹の刀を受け止めるのとは遥かに違う重みを、尊の力では受け止めることが出来なかった。
そのまま剣を弾くはずが、弾き飛ばされたのは尊だった。
「きゃあっ!」
転がっていた長机に身体を叩きつけられる。
背中の痛みに奥歯を噛み締める。
けれど、耐えられる痛みだ。伊達に地獄のぶつかり稽古で最後まで残っていたわけではない。
立ち上がろうと石畳に手をつき、手が痺れていることに気付く。
受け止めた衝撃に麻痺していた。
(なんでっ!?)
六歳のころから毎日のように稽古をしてきた。
道場でも学校でも毎日、寝食を後回しにしても稽古を優先した。
それなのに、この差は何だろう。
(なんでよ!!)
痺れた手を握ると力任せに石畳に叩きつける。感覚が戻った。
手をついたまま唇を噛んでクライヴを見上げる。
万が一にも勝てない。実力の差は歴然だ。このまま戦ったところで、尊に出来ることは何もない。
それならば………。
尊は石畳に転がった剣に手を伸ばすと、それを手に素早く立ち上がる。
そして、
「でぇーいっ!!」
柄を両手で持ち、ハンマー投げよろしく回転するとクライヴ目掛けて放った。
「―――っ!?」
突然の尊の行動に驚いただろうに、クライヴは投げられた剣を綺麗に弾く。
けれど、尊は僅かに出来たその隙を逃さない。
勢い良く両手を突き出して飛び掛かった。
体勢が整っていなかったクライヴは尊の攻撃に驚くほど簡単に倒れた。

「キミ、早く逃げて!」

クライヴに組み付いて尊は背後にいる少年に叫んだ。
ぐいぐいと鎧の胸を押しながら少年を振り返る。
少年は目を丸くしてこちらを見つめたまま動くことはない。
「早く――」
焦れる尊の首筋に冷たいものが触れる。
ハッとして振り払おうとした時には遅かった。
「ぐぅっ」
クライヴの籠手のついた手が首を締める。
苦しさに甲冑のついた腕を叩くが、締める力が弱まることはない。
大きな手は片手だけでも尊の喉を圧迫し、身体からは力が抜ける。
クライヴは半身を起こすと、尊をものともしない動きで立ち上がった。
「興醒めだな」
冷たい声でそう言うと、尊の首から手を離す。
「うえっ……げほげほっ!」
吐き気を覚えながら咳き込む尊を、再びクライヴが背後から首に腕を掛ける。
今度は締め上げるというよりは引き寄せることが目的だったようで、尊は背中に冷たい鎧の感触を感じながら身を震わせた。
この手がいつ首をへし折るか分からないのだ。
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