第二章 最悪な目覚め

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  2.  

「………あ、あは……あはははは……………」
へたへたと地面に座り込み、引き攣る口の端を無理やり上げて尊はとりあえず笑ってみた。
というか、笑って誤魔化すしかなかった。下手をすると、彼女は大量殺人者である。
躊躇なく剣を振り下ろしてくる兵士の異常さにもびっくりしたが、それに負けないようなことをしてしまった。いや、むしろ勝ってしまったかもしれない。
恐怖のために腰が抜けて立てず、床に膝をつけたまま四つん這い姿勢で前へと進む。
そして、階段の下を恐る恐る覗き込んだ。
階段の下には呻き声を上げて、僅かに痙攣している兵士たちの姿。それほど長い階段ではないし、相手も鎧をつけていたので命に別状はなかったようだ。
『殺人者』になることは辛うじて免れた。………大量殺人未遂という罪状は消えなさそうだが。
立ち上がって、尊は安堵の息をつく。しかし、すぐにその身体は凍り付いた。
相手は不法侵入しただけで人を殺そうとするような人たちだ。こんな反撃に出てしまっては、五体満足で家に帰れないのではないか。
こんなことを仕出かした尊が、正当防衛だと訴えても果たして許してくれるかどうか。
唾を飲み込んだ尊の喉がごくりと動く。

「……逃げるが勝ちぃ!!」

尊は素早く踵を返した。
三十六計、逃げるに如かず。基本的に尻尾を巻いて逃げるというのは嫌いだが、時には逃げることだって必要だ。
相手がいきなり刃物を出してくるコスプレ集団の時は特に。
前も見ないまま走り出した尊は、何かに腿をぶつけて勢い良く転んだ。
「きゃあ!!」
身体を支える暇もなかったために、思い切り顔から床に倒れこんだ。
生温い液体が頭から降り注ぎ、尊は身体を起こしながらプルプルと頭を振る。
「は………?」
頭から頬へと伝い、顎の先から床に落ちる雫。
その赤い液体。そして、鼻につく鉄錆の臭い。
尊の知らないものではない。いや、よく知っている。
それは血………だった。

「な、なにこれぇっ!?」

顔からぼたぼたと滴り落ちる、粘液質な赤い液体。
口を開けた拍子に、口の中にまで鉄臭い味が滑り込んできた。
やはり間違えようがない。これは、血だ。
こけた拍子に頭を打ったとは思ったが、まさか流血してしまうほどだとは。
青褪めながら出血部分を探そうとして、液体が降り注いだことを思い出す。
あれがまさか血だった?
とりあえず、頭から血を零しつつも冷静になって辺りを見渡す。
尊の横に転がっているのは白い布が掛けられた長机。どうやら、先程はこれに蹴躓いたらしい。
所々が赤く染まった布から視線を外し、更に辺りを観察する。
よくよく辺りを見回すと、後ろには大きな水盆。そして、人工の明かりではない無数の蝋燭。
そして、首のない鶏。

「なになに、なんなの!?悪魔の召喚儀式ですか!?」

そこまで叫んで漸く異変に気付いた。

「え、あれ……本物………!?」
目を丸くする尊の前には、仰向けに倒れた金髪の少年の姿。
石畳に描かれた奇妙な円形模様の中央に寝かされている。
胸の上で指を組んでいる姿に、両親の遺体を思い出して戦慄が走った。
「ちょ、ちょっと、キミ!ねぇ、キミ!!生きてるの!?」
取り乱した声で呼び掛けながら、尊は少年に駆け寄る。石畳に膝をついて少年を揺り起こす。
「貴様!媒体に触るなっ!!」
下で布の男が何かを言っているが、尊は完全無視を決め込んだ。
尊の中では、この場の登場人物はみんな敵だと決定しているのだ。いきなり剣を振り回す兵士の親玉なんて、悪党以外の何者でもない。
尊は悪党という奴が、後悔の次に大っ嫌いなのである。
「……ん…んん………」
尊の必死の呼び掛けが実ったのか、ゆっくりと少年の瞼が上がった。
「良かったぁ………」
少年が生きていたという事実に、安堵のあまり尊の膝が崩れ落ちる。
この異常な場所では、少年が死んでいることだってありえるのだから。
尊は半身を起こして目を擦る少年に眼を移す。

可愛らしい少年だった。
十二、三歳だろうか。幼いが、目鼻立ちの整った綺麗な顔をしている。金色の髪にブルーの瞳を見ると、外国人のようだ。
更に少年は日本では見られない、不可思議な衣装を着ていた。
幅広のゆったりと仕立てられた服は足下まで覆っている。手が隠れてしまうほど長い袖は、かなり袖口の広い。色が白だということを除けば、牧師が着ている服に似ていなくもない。
まあ、この場の人物は誰一人として、現代の衣服など着ていないが。
(ってことは、この子はキリスト教徒の欧米人?)
考え込んでいた尊は、視線に気付いて顔を上げる。
深いブルーの瞳が尊を見つめていた。
心の中までを見透かしてしまいそうな、無垢な赤子を思わせる瞳に思わず固まる。こんな澄んだ瞳は初めて見たかもしれない。
「おかあさま………?」
「えっ」
少年の口から零れたのは、紛れもない流暢な日本語。予想外の展開だ。
しかし、尊を見つめてお母様とは寝ぼけているらしい。
ついつい笑みが零れ落ちる。
「あたしはお母さんじゃなくて、峰岸尊だよ。あ、尊が名前ね」
「………ミコト?」
「うん、そう。キミはなんて名前?どこも怪我とかしてない?」
「ミコトの方が怪我をしてるよ」
少年は心配そうな顔で尊を見上げる。
なんのこっちゃと思ったが、先ほど頭から血を被ったことを思い出した。
恐らくは血を流している尊を見て、怪我をしているのだと勘違いしたのだろう。
「これは怪我じゃないから大丈夫。それよりキミは―――」

長年の経験で培われた勘とでも言おうか。
それは、刹那のこと。背筋が凍るような殺気を察知して、尊は本能的に上体を倒した。
風を斬る音が耳に届き、数秒遅れてはらはらと舞い落ちるもの。
見慣れた栗色の糸は尊の髪で間違いない。

「ほう………よく避けたな」

背後から聞こえたハスキーボイスに、尊は油の切れた機械のようにぎこちない動作で振り返る。
尊の目に映ったのは、剣を抜いてこちらを見下ろす仮面の男。
表情のない漆黒の仮面は尊の目に異様としか映らない。
(っていうか、今のは第六感的な何かで避けなきゃ確実に首と胴が盛大なお別れパーティーをしてたんですけど!?)
真っ青になって顔を引き攣らせている尊を構うことなく、布男が仮面男に向かって叫ぶ。
「クライヴ!早く娘を始末しろ!!」
「………了解」
布の男には明らかに聞こえない声でぼそりと呟き、クライヴと呼ばれた男は剣を構える。
尊は気を失いそうになった。………出来るものなら気を失いたかった。
何をどう考えたっておかしい。
なんでこんな簡単に人を殺そうとするのだろうか?
コスプレしていることも含めて絶対に一般人ではない。
ヤクザだ、マフィアだ、政治家だ!!
「ちょ、ちょっと待ってくださいぃっ!」
勢い良く立ち上がって、近寄ってくるクライヴに向かって悲鳴のような抗議をした。
クライヴは剣を鞘に戻しはしなかったが、剣を降ろした。先程の兵士よりは話が通じるようだ。
尊からしてみれば、これこそが当然の反応なのだが。
「わ、悪気はなかったんです!気付くとこんなところにいて……出てけって言うならすぐ――今すぐに出て行きますっ。だから、助けてください!!」
仮面から覗く男の目を真摯に見つめた。
壇上から見下ろしていた時は普通に見えた背丈が、対峙するとかなり高いことが分かる。
尊の身長が161cmなので、男は180cmを確実に超えていると見ていいだろう。
言い知れぬ威圧感に泣きそうになるが、歯を食いしばって堪えた。
身も蓋もなく泣き叫んでしまえば、押し潰されそうな緊張感も和らぐだろう。
けれど、命の危機と言えども知らない人の前で泣くのは恥ずかしかった。
「さっさと行け」
「へっ?」
あっさりと身を引いて道を譲ったクライヴに、拍子抜けした尊は目を丸くする。
(えっと、今のって……『逝け』じゃないよね?)
驚いているのは尊だけではなかった。
「クライヴっ!」
下から布男がクライヴに向かって怒鳴る。
「貴様、何を勝手なことして―――」
「小娘一人を逃がしたところでどうにもならないだろう。正直、俺も面倒だ」
「きっさまぁぁぁっ!!」
面倒という台詞に切れたのか、布男が血管がブチ切れそうな声を上げているが、クライヴは布男に視線を移すことすらなかった。
自分の生命を『面倒』の一言で助けられたことが多少は納得がいかなかったが、生きて帰れるのならば文句などある筈もない。
「失礼しまーす……」
尊は少年の小さな手を取ると、相手を刺激しないように小さな声で囁きながらクライヴの横を擦り抜けようとする。
「待て」
引き止められて、ビクンと肩を揺らす。
気が変わったなどと言われたら、どうすればいいのだろう。
けれど、クライヴは予想外のことを告げた。
「その子供は置いていけ」
「えっ?」
子供と言われ、背後の少年を振り返る。
少年は手を繋いだだまま、尊の顔を不思議そうに見上げた。
「この子をどうするつもりなんですか……?」
「お前が知る必要はない」
クライヴの答えに尊は眉を寄せた。

(この人たち、コスプレ集団じゃない。オカルト集団だ!!)

落ち着いて整理してみると、少年が横たわっていた模様は魔方陣と言う奴だ。
先ほどの首なし鶏から連想すると、少年は生贄というヤツなのかもしれない。
こんな危険な場所に少年を置いていく?
そんなこと出来るはずがない。
何をするかなど聞かなくても、少年が危険な目に遭うのは見えている。
しかし、ここにいれば尊は確実に殺されるだろう。彼らに躊躇いなどはない。
少年がどうなろうと、尊は逃げるしか―――。
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