第二章 最悪な目覚め
1.
勢い良く瞼をこじ開けた。
自分の意思で夢から覚めるのには、この十年間ですっかり慣れた。嬉しくもない特技だが。
母の夢が見られるのは嬉しいが、如何せん締め括りがいただけない。アレさえなければ、幸福な夢で済ませられるというのに。
(しばらくは見なかったのに)
小さく溜息をついた尊は、再び目を閉じて寝返りを打つ。
が、不自然なまでの蒲団の硬さに眉を寄せる。いくら尊の寝床が煎餅蒲団とはいえ、まるで直に床で寝ているような硬さなのだ。
いや、違う。『まるで』ではない。
尊は実際に床の上に寝転んでいた。
「あれ………?」
怪訝そうに目を瞬いた尊は、すぐ横に転がっている学校鞄に目を止めた。
最悪だ。蓋が開いていて中身が散らばってしまっている。
拾わなければと身を起こし、大きく伸びをして顔を上げた尊は腕を上げたまま凍り付いたように動きを止めた。
驚きが頂点に達すると、人間は思考が止まるものらしい。
何処だ、ここは。
眼前に広がる情景を、ぽかんと口を開けて瞳に映した。
洞窟。ダンジョン。石牢。
そんな言葉が似合いそうな、日本とはかけ離れた雰囲気をもつ薄暗い場所に、尊はぽつんと一人佇んでいた。
「は?え?」
事態を呑み込むことが出来ず、ごしごしと目を擦った。
薄暗くて、周囲が遠くまでは見渡せない。それは光源が、壁にかけられている松明のみのせいだ。
床は石畳。壁も石が煉瓦のように敷き詰められたものだ。
神に誓って、こんな場所に見覚えはない。
「え、え、え?」
前方の下の方が仄かに明るい。
吹き抜けのような作りになっているようだろうか。
光に魅かれるように近付いた尊は下を覗いてみて………再度、固まった。
中央でごうごうと燃えている焚火。これが明かりの正体だったらしい。
お陰で下の様子がよく見えた。……………余すところなく。
十数人の人々が尊を見上げて立っている。
一番手前にいるのは黒い布を頭からすっぽり被った『怪しい』としか送る言葉がない人で、その隣に立つのは鎧……世界史の挿絵にあったような鎧を身につけ、顔を漆黒の仮面で覆った人。
そして、二人の背後に控えているのは、仮面男よりは少し粗末に見える鎧兜を身につけた人たち。兵士なんて言葉が似合いそうな格好である。
全員が顔どころか性別すらも不明だ。
彼らも尊の登場に驚愕しているらしく、先程の尊同様に凍り付いていた。
「コスプレ集団?」
可能性として一番高いものを呟いてみたが、この張り詰めた雰囲気からして正解ではなさそうだ。
とりあえずは落ち着いた方がいいだろう。
胸を押さえながら深呼吸をして、この訳の分からない事態になる前を思い出してみることにした。
「えっと………あっ!!トラックに跳ねられた!?」
幼子を救おうとして、代わりにトラックに轢かれた。
生きていることは嬉しいが、その場合は目が覚めたら病院が正解なのではないだろうか。
まさかトラックに撥ねられたことが夢なのかと訝しむが、血の滲んでいる膝は幼子を助けようとした時にコンクリートで擦って出来たもので間違いない。
「傷があるってことはさっきのことは現実で、痛いってことは夢じゃない………」
では、何でこんなところにいるのか。
考えても仕方ない。
目の前にいる珍妙な衣装を身につけた人たちに訳を訊くのが早そうだ。
「あの、」
「なんだ、あの女は!誰が連れてきた!?」
口を開いた途端に布男に怒鳴りつけられ、尊は驚いて身を竦ませる。
激しく怒っているところを見ると、布男は尊の存在を知らなかったようだ。
それでは、余計に自分がここにいる意味が分からない。
「早くどかせ!ディア・ガディアスが降臨する前に!!」
布男の号令に従い、兵士たちが動く。
兵士たちは一糸乱れぬ動作で階段を上ってきた。
階段とは言っても、手摺も何もなく段があるだけのものだ。とても狭くて、人が一人通れるほどの幅しかない。
不安定なその階段を素早く上ってくる。
「な、なんでそうなるの!?」
尊はどうすればいいのか分からず、おたおたと兵士たちを見つめるしかない。
逃げることすら思い付かなかった。
混乱状態に陥っている尊の耳に、金属同士が擦れる音が届く。
布男の命令通りに動いた兵士が、尊の元に到着していたのだ。
「あ、あのですね、あたしは不法侵入ではなくてっ」
取りあえず、今の自分の状態を説明しようと尊が口を開く。
しかし、尊の言葉が終わるよりも先に、兵士が腰に下げた鞘から剣を抜いた。
「え?」
尊は呆気に取られて、抜き身となった剣を見つめる。
炎を照り返す刃は、演劇部の友人に見せてもらった小道具の剣などとは輝きが断然違う。間違いようもなく真剣。
(―――銃刀法違反)
脳裏を掠めたのは、かなりどうでもいいこと。
兵士は尊の胴体を真っ二つにするべく、剣を真一文字に薙ぎ払った。
しかし、尊とていくら竹光とはいえ、剣を握って十年。この程度の太刀筋ならば見切ることなど造作ない。
鋼で出来た真剣と竹で出来た竹刀ならば、たとえ剣士が未熟でもスピードは竹刀の方が早い。
尊は飛びのくように身体を退いて、兵士の剣をいなした。
「いいい、いきなり何するのぉっ!?」
裏返った声で文句を言って、目の前に立つ兵士を涙ぐんで睨み付ける。
「不法侵入で殺そうとするなんて………。まさか治外法権!?」
「問答無用だ!!」
混乱している尊に構うことなく、兵士は再び剣を振り下ろす。
「ひっ!?」
今度も何とか攻撃を避けて、尊は真っ青になり頬を引き攣らせた。
冗談でもどっきりでもない。兵士の殺気は限り無く本物だ。
(なんなのいったいなにがおこってるのってゆーかしぬしぬころされちゃうっ!!)
光る刃先を焦りと共に見つめて、じりじりと後退すると踵に何かが当たった。乾いた音に足下へと視線を巡らせる。
それは、一本の蜘蛛の糸。
赤い革袋に入った愛用の木刀だった。
考えるよりも先に尊の身体は動いていた。
足のつま先で木刀を自分の胸の前まで蹴り上げると、そのまま右手に掴んで革袋から木刀を引き抜く。
「こ、これは正当防衛なんだからね!!」
試合や稽古以外で人に木刀を向けるのは初めてのこと。
言い訳めいた台詞を口走ってから、木刀を正眼で構えた。それを合図に兵士が尊へと襲いかかる。
相手の獲物が真剣といえど、やることは道場の試合と変わらない。
正面から自分の首を狙った剣を、鍔競りにならないように木刀で横から弾く。
刃がない剣の平を狙ったために、木刀が切られることもなく軌道を逸らすことが出来た。
尊は退かずに前に出ると、兵士が反応を示すよりも速く兵士の懐に潜り込む。
「めぇんっ!!」
予想外のことに驚く兵士の頭を、尊は渾身の力を込めて木刀で叩いて後ろに下がる。
珍しく型どおりに出来た、見事な引き面打ち。
たったそれだけのことで勝負はつく。
鉄で出来た兜は剣道で使う面とは違う。硬度では勝るものの、衝撃を吸収出来ないのだ。
あまりの衝撃に兵士は、よろめいて後ろに下がる。
けれど、背後には階段があるわけで………。
「危な……っ!!」
ズルリ。
そんなお約束の音が、尊の耳には聞こえた気がした。
やはり、兵士はお約束通りに階段から足を踏み外した。
ちなみに階段には、残りの兵士たちが詰め掛けている。更に言えば、手摺のない階段では踏ん張ることが出来ない。
未来を予知することが出来た尊は、目を瞑り耳を塞いだ。
「うわああああぁぁぁぁ!!」
耳を塞いでいても聞こえる、辺りを震わせる轟音。
人間ドミノ。まさに、そうとしか連想出来ない形で、兵士たちは一人残らず階段から転げ落ちていった。
轟音の後は、悲しくなるほどの静寂が辺りを支配した。
Copyright (c) 2009 yuuka All rights reserved.
-Powered by HTML DWARF-