医師 結婚 エンゲージリング

4章 ノルマール城

モドル | ススム | モクジ

  7.  

部屋のドアを開けると、日の落ちかけている外とは違って室内は明るかった。誰かが蝋燭の火を灯してくれておいたらしい。
抱いていたディア・ガディアスを解放した尊は、どさりと天蓋付きベッドに身を投げ出した。
「あ〜……疲れた」
ふわふわの枕に顔を埋めて、溜息混じりに呟く。
セリーヌに持ってきてもらった――少年にしか見えない――服に着替え、早々に治癒室を後にした尊は、そのまま自室に直行した。
自室と言うのは最初に寝かされていた部屋のことで、ノルマールにいる間はそこを尊の部屋として使うことになった。本当はもう少し質素な部屋の方が良かったのだが、そういう訳にもいかないようだ。広い部屋というのに憧れてはいたものの、いざ暮らすことになると布団を二組しか敷けないアパートの部屋が懐かしい。
ちなみに今着ている服も治癒室ならまだしも城を歩き回るには問題があるので、明日は新しい服を見繕ってくれるそうだ。根が庶民的な尊としては申し訳ない限りである。偉い人のお客様という立場もなかなか大変だ。
ベッドの上に寝転がったまま、もぞもぞとズボンのポケットを探る。
中に入っていたのは制服の胸ポケットに仕舞っていたパスケース。制服はセリーヌに預けたが、これだけはちゃんと手元に残しておいたのだ。
パスケースを開けば、佐奈の笑顔が待っている。
尊はじっとパスケースを見つめてから、小さく息を吐いてそれをベッドの横にある小さな棚の上に置いた。

「………あ、そうだ。勝手に断っちゃったけど、ポン太は夕飯は食べなくて大丈夫だった?」
ベッドの上をポテポテと歩き回っているディア・ガディアスに視線だけを送って声を掛ける。
せっかくテオドシウスが夕食会に誘ってくれたのだが、体力と精神力に限界がきてたので断ってしまった。テオドシウスやルゥたちはまだしも、これ以上は知らない人を紹介されても覚えていられる自信がない。
「この身体でどうやって飯を食えってんだよ……」
「だよね〜」
怒りで身体を震わせるディア・ガディアスを横目で見て、ぷひっと鼻で笑う尊。
「テメェのせいでこの身体になったんだろうが!」
喚かれた言葉に身体を起こすと、尊は唇を引き結んでからディア・ガディアスを睨み付けた。
「それでも、テオの身体を奪うよりはよかったよ」
笑って聞き逃すことも出来たが、ディア・ガディアスの言葉を拾ってしまった。既に何度も聞いた台詞で一度もまともに取り合わなかったが、今は無性に苛立つ。
一歩間違えば、彼が入っていたのはテオドシウスの身体だ。
ポン太の身体の中に入ったからディア・ガディアスに好意を持っているが、万が一にもテオドシウスの身体の中に入っていたら彼を許さなかっただろう。
そう考えると沸々と怒りが沸いてきた。
自分でも口調が尖っていることに気付きながら、ディア・ガディアスに尋ねた。
「なんで聖神(ラウル)は人の身体を奪うの?」
人間界(エディアール)の物の『中』じゃなけりゃ存在出来ねェからだ。聖神(ラウル)のままの姿で存在することも出来るが、一時間以上は無理だな」
「………身体を奪われた人はどうなるの?」
「ンなこと聞いてどうすんだ」
質問を質問で返された。
ディア・ガディアスが尊に視線を向ける。いつもは感情が溢れてるはずの釦の瞳からは、今は何の感情も読めなかった。
どうするかなど分からない。ただ答えを聞きたかった。
無言のままディア・ガディアスを見つめていると、彼は呆れたように溜息をついてから答えた。
「一つの器に二つの魂は存在出来ない。稀に同化することもあるが、99%は消える」
人間(エアル)聖神(ラウル)。どちらが消えるのかなど尋ねる必要はなかった。そんなこと聞かなくたって分かる。
ぎゅっと拳を握る。
「へえ……。それが分かってるのに、ポン太は人間界(エディアール)に来たんだ?」
「俺だって好きで召還(リアース)されたんじゃねェ」
「ふーん。テオの身体を奪いかけて他人事なんだ」
口調が尖っているなんてものじゃない。尊は自分でも認識出来るほどにディア・ガディアスを責めていた。
「そうだよね。ポン太にはどうでもいいんだよね。あたしが巻き込まれたことだって……」

苛々する。むかむかする。
なんでだろう。ディア・ガディアスの言うこと全てに腹が立つ。
ディア・ガディアスが好きで人間界(エディアール)に来たんじゃないことも分かっている。(面倒くさいって言い切ってた)
テオドシウスの身体だって奪われずに済んだのだから、これは仮定の話だ。
それなのになんで………。
突き動かされるような怒りの出どころを探っていた尊は、ぎりぎりと歯噛みしていた力を抜く。
怒りの原因が分かった。

(………完全な八つ当たりだ………)

尊はディア・ガディアスに対して怒っているんじゃない。この世界に偶然なんかで連れてこられた自分の理不尽な境遇に腹を立てていたのだ。
冷えた頭で考えてみれば、ディア・ガディアスは何も悪くない。いや、もしかすると少しは悪いのかもしれないが、それでも彼は自分からテオドシウスの身体を奪おうと人間界(エディアール)に来たわけではないのだ。
自分がこの世界に来てしまった原因に当たり散らすことが出来ないから、身近にいたディア・ガディアスに怒りをぶつけたのである。
八つ当たりだと気付いたならば、尊がディア・ガディアスにする対応はただ一つだ。
ベッドの上で正座をすると、そのまま頭を下げた。

「ごめんなさい、八つ当たりです!!」
Tha・土下座。日本に生まれ日本で育ったならば、遺伝子に染み付いている謝り方の作法である。
「佐奈ちゃんから離れて苛々して、ポン太に当たってしまいました!」
悪いのは自分なので潔く謝る。
深い溜息が頭の上から聞こえたかと思うと、柔らかい感触が頭に乗せられた。
「そんなはっきりと謝られちまえば、こっちも責めにくいだろうが」
ぶっきらぼうだが優しい言葉。
絶対に罵詈雑言を浴びることになると思っていたのに。
「ゆ、許してくれるの!?」
ガバッと顔を上げる。
それで漸く事実に気付いた。頭に乗っていたのはディア・ガディアスの手ではなく足だということに。
固まる尊を、鼻で笑うディア・ガディアス。
真摯に謝っている人間の頭に足を乗せるとは、どういう了見なのだ。
眉を吊り上げると、尊は勢い良く頭を上げた。
「うおっ!」
尊の頭に足を乗せたままのディア・ガディアスは体勢を崩してベッドに転がる。
「急になにしやが……っ」
「ポン太のバカァァァッ!!」
ディア・ガディアスが起き上がるより早く、尊は小さな身体の上に全身全霊を込めて飛び掛かった。
「テメ、体重差を考え―――ぐぎゃああっ!!」
腹の下から蛙が潰されたようなくぐもった悲鳴が聞こえたが構うものか。
人が悪いと思って謝ればこの態度。愛想がつきた。可愛さ余って憎しみ&怒りが千倍とはこのことか。
腹の下で何か喚いているディア・ガディアスの上に無言で乗っかっていたが、しばらくすると疲れがピークに達したのか眠くなってきた。
「う〜……」
閉じそうになる瞼を擦る。
剣道にバイト漬けという毎日を送っていても、こんな疲労は感じたことがない。身体は鍛えている方だし、睡眠時間も割と短くても平気だ。
まだ夜というには少し早い時間にこんなに眠くなるのは、きっと精神的な疲労がとても大きいのだろう。
明日の朝食はテオドシウスと食べる約束をしているので早く寝ることにしよう。
(お風呂に入って、歯磨きしたかった………。テオに場所を聞いておけば良かった)
普段とは違う環境に涙しつつ、既にテオドシウスと別れた今は仕方がないので我慢する。
ディア・ガディアスの上からどくと、尊は部屋の中の蝋燭を吹き消して回る。
ベッドに戻ると、ぺちゃんこになっている彼を胸に抱き、気候に適した薄い上掛けをする。最後に枕元の蝋燭を消すと、ベッドに横になった。
「おい」
「もう寝るから静かにね」
「おい」
「しぃ〜」
「おい」
「おやすみ」
ぽんぽんとディア・ガディアスの背中をあやすように叩いて、尊が目を閉じた瞬間。

「なんで俺様がテメェと仲良く寝なきゃならねェんだ―――!!」

案の定、切れたディア・ガディアスが尊の腕の中から抜け出して尊をど突いた。
やはり、誤魔化しきれなかった。このまま何も触れずに寝てくれればいいと思ったが、そうは問屋が卸さなかったようだ。
「知ってるくせに」
尊は身体を起こすと小さく溜息をつき、下唇を突き出して上目遣いにディア・ガディアスを見つめる。
「ポン太の記憶があるなら理由は知ってるくせに」
この問いにディア・ガディアスは答えなかった。代わりに顔を逸らした。それはすなわち、図星だということ。
尊には大変恥ずかしい習性があった。
姉を溺愛していることやポン太を持ち歩いていることを恥ずかしいと思ったことがない尊だが、流石にこれだけは恥ずかしくて智子や梨絵にも内緒にしている。
けれど、ディア・ガディアスならば知っているはずだ。
「ポン太を抱っこしながらじゃないと、あたしは寝れないんだよ」
抱っこされて毎日一緒に寝ていたポン太の記憶を持っているのだから。

十歳までは特に何も思わずに毎日のようにポン太を抱いて寝ていた。
十二歳になった頃も、大好きなポン太なのだから恥ずかしくないと思っていた。
中学生に入ってから、ぬいぐるみと寝るのは少し恥ずかしいんじゃないかと思い始めた。
十五歳の剣道合宿の時、流石に仲間と寝る時にぬいぐるみを抱いているのは恥ずかしいと置いていったら一睡も出来なかった。結局、合宿三日目に睡眠不足で倒れた。
習慣とは恐ろしい。これではまずいと色々と策を練ったが、どうにもならなかった。
最早、尊はポン太なしでは眠れない身体になっていたのである。

「だから、一緒に寝よう」
精一杯の笑顔に、精一杯の甘えた声。
「やなこった」
一言で却下された。
尊は半泣きでディア・ガディアスに詰め寄る。
「ひどいよ、ポン太!睡眠不足になって死ねって言うの!?」
「睡眠不足になって倒れりゃ少しは寝れるだろうが!」
「そんなの寝るんじゃなくて気絶っていうんだよう!」
「知るか!なんで俺様がテメェと仲良く一緒に寝なきゃなんねェんだよ!?」
「仲良くしようよ〜!あたしが佐奈ちゃんのとこに帰るまでは、どうせ一緒にいるんだからさぁ」
「そんなにいられるか!俺は次の満月に聖神界(ラウディール)に帰んだよ!!」
「え………」
ディア・ガディアスの発言に目を瞠る。
「ポン太、帰るの?」
尊がぼんやりとした表情でした質問に、ディア・ガディアスはばつが悪そうに口を噤む。
けれど、それは一瞬のことで直ぐに質問に答えた。
「あの布野郎と契約をしてねェからな。契約が交わされなけりゃ、聖神(ラウル)人間界(エディアール)にいられねェ。新月に呼ばれ、契約が成立しなけりゃ満月に帰る。そういう誓約だ」
「……そっか。ポン太は帰れるんだ」
俯いて、意味もなくシーツの皺を見つめる。
帰る目処さえ立たない自分と、帰れる日まで分かっているディア・ガディアス。
悔しくないと言えば嘘になるし、羨ましいに決まっている。尊だって、早く佐奈の元へ帰りたい。
きゅっと唇を引き締めてから、
「良かったね、ポン太」
尊は口の端を引き上げて笑顔を浮かべた。
ちょっと不自然だったかもしれないが、それでもディア・ガディアスを祝福したかったから笑った。
『ポン太はずるい!』
そう言ってディア・ガディアスを罵倒することも出来た。けれど、そんなことをする自分は嫌いだと先ほどの八つ当たりで充分感じたし、何より自分と同じようにディア・ガディアスが帰れないよりはずっといいと本心から思っていた。
聖神界(ラウディール)がどんなところかは知らないけれど、きっとそこにディア・ガディアスの家族や友人がいるだろう。彼もそこに帰りたいはずだ。
ディア・ガディアスはにこにこと笑う尊をじっと見つめてから、深々と溜息をついた。
「本物のバカだな、テメェは」
「まさかのバカ発言!?」
なんで祝福してバカと言われなければいけないのか。別に優しい言葉を期待していたわけではないが、それにしてもひどすぎる。
「短い間なんだから仲良くしてよ〜」
「やなこった」
ケッと吐き捨てて、ベッドに倒れ込むように寝るディア・ガディアス。尊も頬を膨らませながら横になる。
さっさと寝てしまったのか、押し黙ってしまうディア・ガディアスだが、瞼がないので起きているのか寝ているのか判断に迷う。
頬をつついてみる。反応がない。どうやら寝ている。
そろそろと腕を伸ばして、自分の胸の中に引き寄せる。文句はないので眠っているようだ。
柔らかいポン太の感触に頬を緩ませる。
この世界に来て、漸く心の底から安堵できた。
目を閉じてポン太の感触だけを感じていると、今までのことが全て夢に思えてくる。いつも通り、佐奈と蒲団をくっつけてボロアパートに寝ているのではないかと錯覚してしまう。

(佐奈ちゃん、心配してるだろうな)
心配なんてものじゃない。地球での尊の扱いがどうなっているかは分からないが、神隠しにしろ家出にしろ、きっと佐奈は探し回っているだろう。遊園地でも動物園でも水族館でも………いつも迷子になった尊を見つけてくれたのは佐奈だった。
彼女を独りにしないと十年前に誓ったはずなのに。どうして自分はこんな所にいるのだろう。
胸が苦しくなったかと思うと、頬を熱いものが零れていく。
怖い。辛い。苦しい。帰りたい。
今まで我慢していた感情が全て溢れ出した。
テオドシウスたちは好きだ。そこに不満なんかない。けれど、知っている人が誰一人としていない世界は不安で怖い。
智子や梨絵とおしゃべりして、敬史に稽古をつけてもらって、佐奈の待つ家に帰りたい。
最後に見た佐奈は泣きそうな顔をしていた。自分があまりにも子供だったせいで、佐奈の結婚を祝福することが出来なかったから。
佐奈の幸せを喜んであげることも出来ずに姿を消した妹のことを彼女はどう思っているのだろう。
「……っ………うっ……」
しゃくりあげて涙を流していると、腕の中から声がした。
「寝れねェだろうが」
ぶっきらぼうだけど、冷たくはない声。
起きていたのか起きてしまったのか分からないけれど、離れろとは言わなかった。
少しだけ見せた優しさに縋りたくて、尊はディア・ガディアスを抱き締めた。
「ポン太ぁ……っく……佐奈ちゃ……あ、あたしのこと……ひっ……嫌いになっちゃ、わないかなぁ……」
ぐしゅぐしゅと嗚咽混じりに尋ねると、彼はまた溜息をついた。なんでか呆れられてばかりだ。
「テメェの大好きなオネェチャンは、んな心の狭い女なのか?」
ディア・ガディアスの言葉に全力で首を横に振る。
佐奈の心が狭いなどととんでもない。彼女の心は太平洋よりも広い。
「だったら、嫌いになったりしねェだろ」
その言葉はすとんと胸に落ちてきた。
そうだった。佐奈がそんなことで尊を嫌うはずがない。彼女はどんな時だって優しくて温かい人だった。
「自分が好きな相手なら信じてやれよ」
「……うん!」
自分が大好きで信じている佐奈は、決して尊を嫌うなど考えず尊を必死で探していてくれるだろう。
そんな風に思うこと自体、佐奈のことを疑っているも同然だった。
「佐奈ちゃん、『みぃちゃん大好き』っていつも言ってたからねっ」
「テメェの脳内、単純で羨ましい限りだな」
深々と溜息をつくディア・ガディアスは気にしないで涙を拭った。
尊に出来ることは、佐奈を信じて帰るための道を探すことだ。
「ポン太、ありがとう」
腕の中のディア・ガディアスをぎゅうっと抱き締める。彼は何も言わなかったが、抵抗もしなかった。
尊の顔に笑顔が浮かぶ。
口は悪いし、すぐに手が出るけれど………根は優しいのかもしれない。

「………あと、一個いい?」
「あ?」
「もぞもぞ動かれるときになって眠れないから、あんまり身動きしないでね」
「テメェ………」

こうして異世界に来て初めての夜は少しずつ更けていくのだった。
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