4章 ノルマール城
5.
自分の背中の上で交わされる会話を聞きながら、尊はだんだんと気が遠くなっていった。
布団に顔を押し付けられて酸素が吸えない上に、肺が圧迫されて呼吸が苦しい。
(死ぬかもしれない……)
圧迫死を覚悟した瞬間、急に背中が軽くなった。
「お前ね、護衛する相手を殺しかけてどーすんだ」
呆れ果てた溜息混じりの声は聞き覚えがある。マチェイの声だ。
ベッドに倒れたまま首だけを捻ると、中学生くらいの子供を持ち上げているマチェイがいた。
尊の視線に気付いた彼は、子供を床に降ろしてから苦笑いを浮かべた。
「大丈夫、ミコトちゃん」
「ひゃい……」
鈍い返事をして、もそもそと身体を起こす。ライラークが尊の腕を掴んで起きるのを手伝ってくれた。
尊の下敷きになっていたディア・ガディアスは見事にぺちゃんこになっている。気絶をしているようだったが、起こすと怒涛の勢いで文句を言われることになりそうなので放っておくことにした。
「おお、お前がミコトか!………なんでルゥの下にいた?」
まん丸の大きな瞳でこちらを見上げて首を傾げているのは、尊の世界で言えば中学生に入ったばかりぐらいの年頃の子供。
口調は男のようだが、話す言葉は舌っ足らずで年齢の割には幼いように思える。
「お前が上に乗ってたの」
溜息をついたマチェイに軽く頭を叩かれて、少女は訳が分からないとばかりに目を瞬く。
同じく訳が分からない尊は目を丸くして目の前の少女を見つめた。
頭がすっぽりと隠れる鍔のない大きな帽子を被り、マチェイやライラークと同じ衣装を着ている。
帽子を被っている部分以外は櫛を通していないのか、くすんだ灰色の髪ががあちらこちらと好き勝手に跳ねていた。
「ほら、ルゥ。ちゃんと挨拶する」
「ん」
マチェイに背中を押されて一歩前に出たルゥは固く頷くと、その場に片膝をつき頭を垂れた。
呆気に取られている尊を前に、ルゥは先ほどまでが嘘のような凛とした口調で口状を述べ出した。
「黄昏の騎士団第四騎士隊所属、ルゥ。我、今より御身の影となりて、降り注ぐ全ての最悪から」
「『災厄』」
「災厄から御身を遠ざけ、……とおざけー……たりなんだりします」
「勝手に捏造するな。……我が志を剣に」
「………遠ざけ、我が志を剣に、この命を盾に、御身を護ると誓います」
何度かライラークの助けを借りて、口状を言い切ったルゥはいきなり尊のスカートをぐいっと引っ張った。
「ひゃあ!」
悲鳴を上げた尊は、下がりそうになったスカートを慌てて押さえる。
「何するの!?」
「裾が短くて誓いができんゾ。少しのばせ」
「ち、誓い?」
折ってもいないスカートを伸ばせる筈もない。女子高生にしては、真面目に膝丈なスカートを短いと言われるのだって心外だ。
「ルゥ、お前が首を伸ばすの」
「誓いちゅーは顔をあげちゃだめなんだゾ」
「それよりも、護主の服を引きずり下ろす方がダメだって。……ごめんね、ミコトちゃん。誓いは護主の服の裾に接吻して完了なもんだから」
「は、はあ………」
尊はスカートを押さえたまま曖昧に頷いた。裾に接吻って何ですかってことよりも、まず誓いが何なのか分からない。
誓いとやらを詳しく聞いてみたいのだが、スカートを引っ張るのに必死でルゥから目を離せない。
何故ならルゥがマチェイの注意に顔は上げたのだが、尊のスカートから手を離そうとしないのだ。
「だって、間違えるとライが文句いう」
「もう既に間違えているから今更、文句はない。早くミコト様の服から手を離せ。……それから、後で誓いの口状を文章にして五枚提出するように」
「うげ」
ライラークから言い渡された罰にルゥが顔を歪める。
一気に力が抜けたのか、スカートを引く力が強くなった。
ぶちっと嫌な音が聞こえ、布地が裂けたのかと思った尊は慌ててスカートから手を離す。
けれど、限界点を突破したのは布地ではなくホックの方だった。
尊はもちろんルゥも手を離したため、重力に従って床に落ちるスカート。
ぱさりと乾いた音を立てた後、
「ほぎゃああああぁぁぁぁっ!!」
尊の悲鳴が病室で木霊した。
※※※※※※※※※※※※
「申し訳ありません、ミコト様!!」
「ほんっとーに重ね重ねごめん………」
「あはは……」
ベッドの上で布団に頭がつくほど深々と頭を下げるライラークに、疲れ果てた顔で謝るマチェイ。
対する尊はフリルたっぷりの淡い桃色のドレスに身を包み、引き攣った笑みを浮かべた。
落ちたスカートは修復のためセリーヌに預け、代わりに渡された服がこのゴテ甘々ドレス。
髪の毛が短いということを横に置いても、似合っていないのは百も承知。
異世界に来て、ロリータ服を着ることになるとは思ってもみなかった。いや、ロリータファッションにしたって悪趣味だ。
だから、尊の悲鳴で目を覚ましたディア・ガディアスが先ほどの仕返しとばかりにベッドで笑い転げているのだって、今の尊に責めることは出来ないのだ。
「ミコト、似合ってるよ」
「ありがと……」
テオドシウスが優しく慰めてくれるが、心配そうにしている辺りお世辞なのは間違いない。
「ほら、ルゥも謝る!」
「……すまん……」
マチェイに頭を叩かれて、小さいところを更に小さくなって謝るルゥ。
ライラークのこめかみぐりぐり攻撃がよほど利いたらしい。
「もういいですよー。悪気はないのは分かってますから。ルゥちゃんも気にしないで」
しゅんとしているルゥの頭を、尊はよしよしと撫でる。
それから、マチェイとライラークに顔を向け、にこやかに微笑みかけた。
「お二人も謝罪はもーいいです。とりあえず、今すぐ脳内から先ほどの記憶を消し去ってくれれば十分なんで」
もちろん、目はこれ以上なく真剣(だった。
無言で頷く二人に安堵の息を吐き出し、尊は話題を変えようと先ほどからの疑問を尋ねることにした。
「ところで、誓いって何なんですか?」
口状があったり、裾が重要だったりする『誓い』だが、何のことかさっぱりだ。
説明しようと口を開きかけたマチェイをルゥが押しのけ、尊の前に再び片膝をついた。
「黄昏の騎士団(第四騎士隊所属、ルゥ。我、今より御身の影となりて、降り注ぐ全ての災厄から御身を遠ざけ、我が志を剣に、この命を盾に、御身を護ると誓います」
今度は間違えずに口状を述べると、尊のひらひらのドレスの裾を口元へ寄せて接吻けをした。
そして、すくっと立ち上がると八重歯を覗かせてにっこりと笑う。
「これが誓いだゾ!これでミコトはルゥの護主だ!!」
「護主?」
どうだとばかりに胸を張るルゥだが、もちろんのことながら何の説明にもなっていない。
説明を求めてマチェイに視線を移すと、彼は心得ていたように笑みを向けた。
「誓いっていうのは、簡単に言っちゃえば『私が貴方を守ります』って言う騎士の約束みたいなものなんだ。ミコトちゃんがノルマールにいる間はルゥがミコトちゃん専属の護衛になるわけだから、形式としてやっておかなきゃいけないの」
「ええ!?ご、護衛って、そんな!!」
さらりと告げられた台詞に目を丸くする。
テオドシウスならまだしも小娘の自分に専属の護衛など、どう考えても分不相応だし、それに護衛をつけなければいけないような事態に異世界の小娘である尊が陥るとは思えない。
「そんな難しく考えないでいいよ。もうすぐ皇帝の儀があるし、坊ちゃんのこともあったから用心のために一応ね」
「いやいや!お気持ちは嬉しいですけど、あたしなんかに貴重な人員を割くのは………」
「あのね、ミコトちゃん。陛下が君の滞在を許したってことは、君は陛下のお客さんになるわけ。その君にもしものことがあったら、陛下の名にも傷が付くの」
「あ………」
「だから、陛下のためにも、ルゥを傍に置いてやってくれないかな?」
マチェイの真剣な目を見て気付く。
護衛をつけるというのは確かに尊の為というのもあるかもしれない。けれど、決してそれだけではない背景があるのだ。
横目でテオドシウスを見つめると、彼は申し訳なさそうに俯いて目線を合わせない。
テオドシウスのような幼い子にもわかっているのだ。これが、お願いではなく命令なのだということが。
「………お言葉に甘えさせてもらいます」
マチェイにぺこりと頭を下げてから、ルゥに向き直る。
どう見ても自分より年下の少女に尊の護衛が勤まるかは分からないが、マチェイがルゥを伴ってきたということは何か考えがあるのだろう。
それに彼女だって、黄昏の騎士団(の第四騎士隊に所属しているのだから、小さく見えたって実力はあるということだ………多分。
(いざとなれば、あたしがルゥちゃんを守ればいいか!)
拳を握り心の中で決心すると、尊は自分よりも頭一つ分は小さいルゥに頭を下げた。
「よろしくお願いします、ルゥちゃん」
「まかせとけ」
胸を張って、どんと力強く胸を叩くルゥ。
ルゥの可愛らしい仕草に、尊はくすりと小さな笑みを零す。
「でも、騎士って護衛もしなきゃいけないなんて大変ですねー」
もともと騎士というのがどんな仕事をするというのかは分からないが、それでも国を守ることが仕事なのだと思っていた。
尊の国で言えば、警察官や自衛隊のような役割。
けれど、護衛……それこそ、SPのようなこともするのだとは思っていなかった。
「いや、黄昏の騎士団(の全員が護衛をしてるわけじゃないよ。俺たち第四騎士隊は少し特殊でね。近衛騎士は黎明の騎士団(っていうもう一つの騎士団の管轄なんだけど、独占市場はやばいからってことで、うちの隊が駆り出されたの」
「おかげで誓いの口状を覚えなきゃいけなくなって迷惑だゾ……あだ」
「迷惑などと言うな」
ライラークにぱしりと頭を叩かれて、ルゥは頬を膨らませて『こーえーデス』と言い直す。
「まぁ、近衛騎士と言っても隊長が坊ちゃんの護衛してるだけだから、俺たちはそんなに関係がないんだけどね」
「ルゥも口状いったの、今日がはじめてだ」
護衛する対象が少ないのか、駆り出されたからまだ正式な近衛騎士としての制度がないからなのかは分からないが、近衛騎士としての仕事はテオドシウスに対してだけのようだ。
その中で護衛対象の二番手になってしまっていいのだろうかと苦悶するが、あちらから押し付けてきたのだから気にしないことにした。
「テオの近衛騎士をしてる隊長さんって今どこにいるの?挨拶とかした方がいいかな?」
首を傾げてテオドシウスに尋ねる。
テオドシウスはきょとんと目を丸くしてから、口元を押さえてくすくすと笑い出した。
「さっきから、ずっとそこにいるよ」
差された指の先を辿ると、そこには申し訳なさそうな表情でベッドに半身を起こしているライラークの姿。
「えぇ!ライさんが隊長さんなんですか!?」
「申し訳ありません。私のような未熟者が隊長などを名乗り………」
「そういうことじゃなくて……っ!マーチさんが副隊長って聞いたから、てっきり隊長さんはもっとお年を召した方かなーって」
「申し訳ありません。私のような若輩者が隊長などを名乗り………」
「だから、そういう意味じゃないってば!っていうか、マーチさんがライさんのこと呼び捨てにするからいけないんだ!!」
「えっ、俺ぇ!?」
「そうです!ライさんに謝ってください!!」
何を言っても謙遜……というかネガティブに物事を受け取るライラークに揚げ足を取られた尊は、全ての罪をマチェイに押し付けた。
だいたいマチェイが上司(レオン、ライ)を敬わないから、誰が上司なのかよく分からないのだ。
副隊長が隊長を呼び捨てにするなど――特に騎士など行儀作法に厳しそうなのにそれでいいのだろうか。
「なんかよく分かんないけどごめんね、ライ」
頭を掻きながら本当にライラークに謝っているマチェイを横目に、尊はライラークをじっと見つめる。
二十三歳と言う若さで一隊の隊長を任されているということは、かなり優秀のようだ。
隊員に子供や年上の副隊長がいると言うことは押し付けられたのだろうかと少し疑ってしまうが、皇族の護衛に抜擢されたということはやはり卓越した能力があるのだろう。
「凄いね、エリートってやつかぁ」
「えりーと?」
何気なく呟いた言葉を聞きつけたテオドシウスが不思議そうに首を傾げる。
(あれ、通じてない?)
そう言えば、アイデンティティーなどの言葉も通じていなかった。けれど、ドレスやスカートは通じていたはずだ。
翻訳の基準がよく分からない。なんとも面倒臭いなあと鼻の頭を掻く。
「えーっと、優秀な人ってことかな」
「うん。ライは凄く優秀なんだよ」
とても嬉しそうに頷くテオドシウスを見ていると、なんだかこちらまで笑顔になってしまう。
ライラークのことが好きなんだなあと思う。
テオドシウスと再会した時の感激振りも演技とは思えなかったので、二人は深い信頼関係で結ばれているのだろう。
「素敵な騎士様なんだね」
尊の言葉に満面の笑みで頷くテオドシウスの可愛らしさに、尊は腕を伸ばしてテオドシウスの頭を撫でる。
本当に素直で愛らしい少年だ。
ふと視線を感じて振り返ると、ルゥがじぃっと尊を見つめている。しかも、ぎょっとするほど近くにいた。
何も言わずに尊を見上げる視線に羨ましさを感じた尊は、ルゥの頭に手を伸ばす。
二、三度、帽子の上から頭を撫でると、
「えへへ」
ルゥは八重歯を覗かせてにんまりと笑顔を浮かばせた。
何だかやけに帽子が膨らんでいたが、あの帽子の中はきっと癖毛が仕舞われているのだろう。
でなきゃ、あの中身が詰まった感触にはならない。
「おやまぁ、すっかりルゥに気に入られちゃ―――」
「ミコト様!」
ばんっと重たそうな鉄の扉が勢い良く開く。
扉付近に居たマチェイが咄嗟に手を出さなければ、顔面打ちをしていただろうと言うほど唐突に開いた。
入ってきたのは、尊のスカートを修復していたはずのセリーヌである。
「お話中、失礼します。……あら、マチェイ様どうかしました?」
「………少し手が痺れただけ」
マチェイの返答に不思議そうに首を傾げてから、セリーヌは尊に笑顔を向けた。
「服は直しましたけど、あの服とても汚れているので洗うことにしました。ということで、ミコト様。しばらくその服で過ごしてもらってよろしいですか?」
セリーヌの申し出に尊の頬が引き攣る。
それは大変よろしくない。男に間違われるよりも、このフリフリドレスで歩き回る方が精神的に辛い。
「あのぅ、他の服ってないんですか?」
「その服はお気に召しませんか?」
眉尻を下げて尋ねるセリーヌに、流石に『はい、そうです』とは頷けない。
尊は相手を傷つけないよう慎重に言葉を選ぶ。
「あの、あたし、ロリっ……裾の長い服は汚してしまいそうで苦手なんですよ。出来れば、ふつっ……動きやすい服がいいかなぁって」
何度か出そうになる本音を隠しつつ、えへへと愛想笑いを浮かべてみる。
尊の心配は杞憂だったようで、セリーヌは朗らかに微笑んだ。気を悪くした様子はないようだ。
「ミコト様ってば、そういうことは早くおっしゃってください」
「あ、じゃあ、別の服を………」
「分かりました。ちょちょいと裾を短くしちゃいますので、じっとしててくださいね」
(どうしよう、何も分かってない!)
シスター服のポケットから巨大な布鋏を取り出すセリーヌに頭を抱えたくなる。
フリフリが短くなったところで、フリフリに変わりはない。
「き、切っちゃうのはもったいないですよ!」
「でも、ミコト様の言う動きやすい服ですと、飾り気も可愛さもない悪趣味で地味な服しかないんですよ」
「それでいいです!!」
「え〜」
不満そうに口をへの字にした後、セリーヌは渋々といった体で地味な服を取りに行った。
悪趣味というのが気になるところだが、現在着ている服よりはましであることを願うしかない。
セリーヌを見送ってから、尊はベッドに座ってこちらを見つめるライラークにぺこりと頭を下げた。
「長々とお邪魔してすみません。服を着替えたら、すぐにお暇しますね」
「邪魔などとそんな……」
「いえいえ、ゆっくり身体を休めてください」
恐縮しているライラークに首を振る。
いつまでも部屋にいると、ライラークも落ち着けないだろう。早くに退散するに越したことはない。
「で。あたしって、この後どうすればいいんですか?宮廷魔導師さん……に会えばいいんですか?」
心の中で一応は腰を据えたとは言え、できることなら早く家に帰りたい。というか、佐奈に会いたい。
そのためには、さっさとちゃっちゃと尊がこちらに来た原因を調べて、あちらの世界に帰れるようにして欲しい。
「ミコトちゃん………実はひじょーに言いにくいんだけど、もう少し待ってもらってもいい?」
「へっ?」
「皇帝の儀が終わるまで、この国ちょっとばかり忙しくてね。すでに宮廷魔導師さんは不眠不休で死にかけなのよ。ミコトちゃんのことまでちーっと手が回らないかな」
「な、なんと……」
「宮廷魔導師に会うのは、今は遠慮してね」
「……………っ!」
話が違うじゃないですか!?
あたし、早く家に帰りたいんです!!
喉元まで出かけた言葉を呑み込む。
それは尊の我儘だ。
尊には尊の事情があるように、彼らにも彼らの事情があるのだ。
身元も保証もない尊に考えられないほど優しい待遇をしてくれている。
だから、これ以上の我儘はいえない。
ぎゅっと拳を握ってから小さく深呼吸をし、尊はにっこりと笑った。
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