第一章 最悪の日

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  2.  

「あー、おいしかった」
ケーキバイキングの店から悠々とした足取りで出てきた尊は、満足そうにお腹を摩っている。
尊の後から出てきた智子と梨絵は、対照的に俯きながら覚束無い足取りで出てきた。
「このお店、もう来れない………」
「気持ち悪いよー。ケーキなんかもう見たくないよー」
額を押さえる智子に、口元を押さえる梨絵。二人とも顔色はあまりよくない。
「あれ、おいしくなかった?」
そんな二人を見つめて『あらまあ』と不思議そうに首を傾げると、
「違うわ!あんたがホール三個分も食べるから恥ずかしくてもう行けないのよ!!」
「違うよ!尊ちゃんがホール三個分のケーキをばくばく食べるから見てるこっちがお腹一杯になっちゃったの!!」
「ご、ごめんなさい………」
激しい反論にあって深々と頭を下げた。

よく食べると言う自覚はそれなりにある。
朝練、放課後の稽古、更に夕飯を食べた後も道場でも稽古をするために、運動量が半端ではない。
そのせいか不本意ながら『大食い』と言うカテゴリーに分類されてしまう。
(でも、ケーキとか甘いものは女の子はよく食べるって言うから、あたしが特別なわけじゃないと思うんだけどなぁ)
むぅと眉間に皺を寄せ、腕を組んで考え込む尊。
確かに女の子は甘いものが好きだといわれるが、それでもホール三個分のケーキを食べることは難しいだろう。
「ま、いいけどね。こうなることは予想してたし」
「あれだけ食べてもらえれば、奢った甲斐もあるよ」
呆れながらも二人の顔は笑っている。
そこにある優しさに尊の顔は綻ぶ。
「二人ともありがとね」
二人の背中をぽんと叩いて感謝の気持ちを伝える。

部長に勝つことも出来たし、お腹も一杯だし、友達の好意が嬉しいし、これ以上ないほど幸せだ。
今日はきっと最高の日だ。
スキップしたくなる気持ちを押さえて駅前の人ごみを歩いていると、小さな人影がうろうろと所在なげに歩いているのを見つけた。
辺りをきょろきょろと見渡し、泣く一歩手前まで顔を歪めている姿は何処からどう見ても迷子だ。
帰宅ラッシュの人ごみに巻き込まれて親とはぐれてしまったのだろう。
「智、梨絵。ちょっと待ってて」
怪訝な顔をする二人に鞄を渡して告げると、尊は子供に近付いて今にも泣きそうな少年に声を掛けた。

「キミ、お母さんは?」
怖がらせないようににっこりと微笑む。
子供が大好きな尊は、こうして迷子や困っている子供を見つけると放っておけずに声を掛けてしまう。
まあ、子供に限らずにお年寄りや妊婦にも手を出してしまうために『お人好し過ぎる!』と智子にいつも怒られてしまうのだが。
「わかんない……まま、いなくなっちゃった………」
うるうると少年の目が潤んで今にも涙が零れ落ちそうだ。
「そっか。それじゃ、お姉さんも一緒にママを探すよ。キミのお名前は?」
「よしおかしゅんたろう………ごさい」
「しゅんたろう君だね。お年も言えて偉いねー。それじゃ、ちょっと失礼」
よっこいせと掛け声を一つ上げて少年を肩に担ぎ上げ、いわゆる肩車をする。
六歳の頃から剣道で身体を鍛えている尊には、五歳の子供なら軽く持ち上げられる。
「わわっ」
「お母さん見える?」
自分の頭にしがみ付く小さな手に少し痛みを覚えながらも、尊は気にしないで少年に声を掛けた。

「ひとがいっぱいでわかんない………」
「じゃ、おっきい声でママを呼んでみようか」
「ままを?」
「そうだよ。お腹に力を入れておっきな声でー……はいっ!」
「ま、ままっ!」
「あはは、その調子だよ。しゅんたろう、頑張れ!」
「ままーっ!!」

何事かと周りの人々の目が集中するが尊は気にしない。
場所を移動して迷子センターに連れて行くよりも、こうやって探したほうが手っ取り見つかるケースが多いのだ。
何回か少年が大きな声で呼びかけてると、赤ん坊を抱いた女性が慌ててこちらに向かって来るのが見えた。
「まま!」
肩に乗った少年が身を乗り出すように女性に呼びかける。
少年を肩から下ろすと、地面に立たせる。
割と早く見つかったようでよかった。
「俊ちゃん!」
「ままぁー!」
駆け寄ってきた女性にしがみつく俊太郎。
緊張の糸が切れてしまったのかわんわんと泣いている。
母親は俊太郎の背中を撫でながら、尊に頭を下げた。
「ありがとうございます!ご迷惑をおかけしました」
「迷惑なんてかけてませんよ。泣かなかったし、ちゃんとお名前も言えて立派でした。ね、俊太郎」
そう言って俊太郎の頭を優しく撫でると、俊太郎は涙を拭って顔を上げる。
母親はホッとしたように息を吐き出してから、申し訳なさそうに目を伏せた。
「少し目を離した間にいなくなっていて………」
「子供ってそんなものですよ。あたしも昔は迷子の天才で……。赤ちゃんで手もふさがってますもんね。手が繋げない時は服や鞄に掴まってもらうようにすると割と迷子を防げるらしいですよ」
「あら、そうなの?」
「ご近所の方はそうやって再犯を防いだらしいです。ちなみに『掴まっててね』よりも『離さないでね』の方が効果があるそうで」
「それじゃあ、今度試してみなきゃ」

和やかに母親と会話をした後、手を振って俊太郎親子と別れる。
待たせてしまったので急いで智子と梨絵の元に戻ると、『お疲れ様』と言われて鞄を渡された。

「ごめんね、待たせちゃって」
「別にいいわよ。人助けはあんたの趣味だからね」
「別に趣味じゃないってばー」
「尊ちゃんみたいに手を差し伸べられるって素敵なことだと思うよ。………私たちはやっぱり見てるだけになっちゃうから」

当たり前のように困っている人間に声を掛けられる尊はすごい、とみんなが言う。
尊にしては特別なことをしていると言う感覚はないのだが、みんなは声を掛ける前に羞恥心が先に立ってしまうのだと言う。
誰もが困っている人を放っておきたいわけではない。
けれど、『お困りですか?』とその一言を掛けることがどうしても出来ないと言う。
昔はそれが納得できなくて人とぶつかっていた尊だが、今はそれもなくなった。
人には色んな考えや感じ方があるのだと諭してくれた人がいるから。

「出来ることからやればいいんじゃないかな。一歩一歩堅実にさ」

ポンと元気付けるように梨絵の肩を叩いて笑う。
人はいきなり変わることなど出来ない。
だから、毎日の積み重ねが大事なのだ。
………これもまた、人の受け売りなのだが。

「尊は堅実すぎ。朝練、部活、道場……更にバイトまで出来るあんたは化け物か」
「化け物とは失礼な!動くの好きだからいいの。それに新聞配達ってけっこう運動になるし」
「だから、それ以上の運動をして何になるの!?世界征服でもするつもり!?」
「まあまあ、智子ちゃん。でも、尊ちゃん。そんなにバイトして何か欲しい物でもあるの?」
梨絵の質問に尊の頬が一気に緩んだ。
えへへとバックに花を背負って照れ笑いを浮かべる尊に、二人の顔が見る見る引きつった。
尊がこのような笑みを浮かべながら話す相手はこの世に一人しかいない。
「あのねっ、佐奈(さな)ちゃんに誕生日プレゼントをあげるんだぁ〜」
「やっぱり佐奈さんね……」
「もうちょっと色気のあることはないのか、あんたには。本当に気持ち悪いくらいに姉命よね」
今の台詞で察しはついたとは思うが、佐奈ちゃんというのは尊の姉の名。
お察しの通り、尊は重度のシスコンである。
今年で二十五歳になる姉の佐奈を、周囲が呆れるほどに溺愛している。
「お姉ちゃんを好きで何が悪いのさ!家族愛だよ、家族愛!!」
「家族愛の次元を超えてんのよ!何処の世界にパスケースに姉の写真を後生大事に入れる妹がいるのよ!」
「ここに」
手を上げて、胸ポケットから出したパスケースを開く尊。
そこには佐奈の写真。しかも、全身とアップの二枚。
これを尊は肌身離さず持ち歩いているのだ。

「キモい!」
「ひどい!」

ぎゃんぎゃんと往来で怒鳴りあう二人だが、本当に喧嘩しているわけではない。
智子と尊の変わったコミュニケーションの一つである。
梨絵が笑いながら二人を見つめているのがその証拠だ。

「あたしたち今が旬の女子高生よ?姉以外に好きな人とかいないわけ?」
「失敬な!あたしにだって好きな人ぐらいいるよ!」
負けずに声を張った尊はしまったとばかりに慌てて口を塞ぐ。
その反応に驚いたのは、智子と梨絵だ。
「それは初耳だよ!」
「うそうそ、誰よ!?うちのクラスの子?それとも剣道部の先輩とか?」
奥手というか……男友達はいるが全く異性としての意識を持っていない尊に、好きな相手がいるとは青天の霹靂だ。
自分どころか人の恋バナにも乗ってこない少女なので、二人は興味津々で尊に詰め寄る。
尊はうろうろと目を泳がせた後、
「あ、もう遅いから帰らなきゃ!じゃ、また明日!!」
言うが早いか駆け出す尊。
「ちょ……!」
止めようとしたときにはもう遅い。
さすが新聞配達をランニングでしているだけあって、あっという間にその背は見えなくなってしまう。

「尊ってばっ。明日、覚えときなさいよ!」
見えなくなった方向に向かって叫ぶ智子に梨絵が苦笑を浮かべる。
「仕方ないよ。尊ちゃん、こういう話は苦手だもん」
「まぁねぇ……。でも、本当に誰のことなのよ?」
「それは明日、尊ちゃんにちゃんと聞かなきゃね」
「あ、温かく見守るとかって選択肢ないんだ」
「友人としていろいろと作戦を練らなくちゃいけないもの」
「…………不器用な子だからねぇ」

ふぅっと溜息をついた二人は、顔を見合わせて笑った。

明日、話を聞けばいい。
尊は真っ赤な顔をしながらも、小さな声で相手の名前を言ってくれるだろう。
そして、自分たちは不器用な友人のために恋を成就させようと色んな計画をするのだろう。

「それじゃ、また明日」
「うん、また明日」
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