第三章:異世界
4.
「え……?」
鷲の顔に獅子の胴体。
地球には生息していない動物のようなので名は分からない。
「なっ、なにあれ!?」
「グリフォンだと……。ありゃ聖獣だぞ」
「き、聖獣(?それって、聖神界(にしかいないんじゃないのっ?」
「ああ。自力では人間界(に来れねェ。誰かが召喚(したのか……?」
肩にぶら下がり呟くディア・ガディアスに尊は青褪める。
誰が何のためにそんな物を召喚したのかさっぱり分からない。
けれど、あんなものが空を飛んでいるのは、ライオンが放し飼いにされていることとそう変わらない。いや、空が飛べる分、ライオンよりも質が悪い。
「皇子、ミコト様!!」
名前を呼ばれて顔を上げる。
ライラークが兵士たちを剣で倒しながらこちらを見ていた。
視線がこちらなのに、ライラークは襲ってくる兵士たちを華麗に片付けている。
驚くほどの腕前だ。クライヴに負けていない。
「危ないから中に入っときなっ!」
ライラークより少し離れたところからマチェイが叫ぶ。
こちらの武器は剣ではない。棒のようなもので戦っている。
マチェイの警告を無視し、尊は空を指差すと声を張り上げた。
「ライさん、マーチさん!上に聖獣(がいる!!」
二人はすぐに視線を上に送り、表情を変えた。
「やっべ、マジで聖獣(じゃないの!」
「奴等、聖獣(まで召喚(したというのか!」
『奴等』というライラークの言葉が尊の心に引っ掛かる。
その言い方では、ライラークがこの兵士たちの素性を知っているようではないか。
くいくいとスカートが引かれる。
下を向くと、テオドシウスが心配そうな顔で尊を見つめていた。
「ミコト、後はライたちに任せよう。二人とも強いからグリフォンにも負けないよ」
「うん、そうだね。じゃ、テオはさっきの食堂に逃げて」
「………ミコトは?」
「あたしは自力で逃げられなさそうな人を連れてく。化物相手じゃ役に立てないけど、怪我人に肩を貸すぐらいは出来るから」
「じゃあ、僕も手伝う」
「だめだよ、危ないからテオは……」
「ミコトだって危ない!」
声を荒げたテオドシウスに、尊は驚いて目を見開く。
テオドシウスが大きい声を出したのは初めてのことだ。
どんなに恐ろしい目にあっても落ち着いていたから、余計にびっくりした。
けれど、裏を返せば尊の身を心配しているということなのだ。
「………分かった。それじゃ、テオにも手伝ってもらおうかな!」
テオドシウスの頭を撫でてにっこりと笑う。
尊にしがみつく女性を初め、辺りには多数の怪我人がいる。
その人たちを安全なところに逃がさなくては、自分が逃げることなど出来ない。
「お姉さん、大丈夫ですか?立てますか?」
「あなた、黄昏の騎士団(の知り合いなの?それに、今ぬいぐるみが喋って……」
「黄昏の騎士団(とは今日お知り合いなったばかりです。それから、このぬいぐるみはお気になさらず。腹話術ですから」
「そ、そう……」
無用な混乱&説明は避けた方がいいだろう。
喋るぬいぐるみの怪奇を腹話術の一言で片付けると、女性の膝裏に手を差し込む。
よく貧血を起こして倒れる佐奈をお姫様抱っこで蒲団に運んでいたので、平均体重の女性ならば軽々と抱き上げることが出来る。
しかし、尊が女性を抱き上げることは出来なかった。
女性が重いわけでも、尊の腕力が落ちたわけでもない。
悠々と空を飛んでいたグリフォンが急に降下してきたからだ。
「うそ、こっちに来るっ!!」
「きゃああぁぁっ!!」
「避けろ!!」
ディア・ガディアスの叱咤にその場から逃げようとした尊だが、傍にいる女性とテオドシウスの存在にそれは出来ないと思い直す。
テオドシウスの手を取ると女性の上に押し倒し、二人を庇うように抱え込んで身を伏せた。
「っの、バカ―――!!」
降ってくるディア・ガディアスの罵声。
ディア・ガディアスの気持ちも分からなくはない。
いくら剣道で全国区の腕前を持つと言っても尊は安全大国である日本の女子高生。
このような状況に陥れば、まったく動けなくなって当然であり、それは許されることだ。
けれど、彼女は常に身を呈してまで他人を守ろうとする。
それは並ならぬ正義感につき動かされているだけではない。
それは………。
「……………?」
鉤爪か嘴が襲ってくるものだと思ったのに、いつまで待っても尊の身体に衝撃はこない。
代わりに水滴がポタポタと落ちてくる。
雨が降ってきたのかと一瞬思ったが、それにしては水滴が大きいし落ちてくる場所が一定だ。
「ライ!!」
マチェイの叫び声。
こめかみに落ちた水滴が、頬を滑って口の中に入ってくる。
口腔に広がる鉄錆の味。
頬の筋肉がひくりと攣った。
「皇子、ミコト様……っ、ご無事ですかっ!?」
何故かすぐ近くで聞こえたライラークの声に、尊は油が切れた機械のようなぎこちなさで顔を上げた。
視界を染めるのは紅。
水滴の正体は、ライラークの腕から滴り落ちる血。
力なくだらりと下げた手を見て、尊の動きが止まる。
「ライ!?」
尊の下から這い出したテオドシウスがライラークに駆け寄る。
「ひっ、ひいっ!」
女性は降ってくる血に怯えて尊にしがみつく。
けれど、尊は微動だにしない。まるで身体が凍り付いてしまったかのように動くことが出来なかった。
「大丈夫なの、ライ!」
「この程度、何ということはありません。さ、皇子お逃げください。次は威嚇というわけには参りません」
「そうそう。坊っちゃんたちが早く逃げるのが俺たちのためよ」
いつの間にか傍にいたマチェイが泣きそうな顔をしているテオドシウスの頭を撫でる。
どうやら、先ほどの攻撃は威嚇だったらしい。
ライラークの腕には三本の爪痕が刻まれているが、溢れる血の量も落ち着いてきたし、ちゃんと動いている。
あの大きさから渾身の力で振り降ろされれば腕が吹き飛んでいただろう。そう考えると確かに威嚇のようだ。
「威嚇と見切って手ェ出したか知らねェけど、ラッキーだったな。なぁ、バカ女」
「…………………………」
「おい、コルァ。俺様が話し掛けてやってんだから、返事ぐらいしやがれ」
肩に乗ったままのディア・ガディアスが尊の後ろ頭を叩くが尊は何も言わない。
ライラークを………ライラークの血を見た時から、瞳は宙を彷徨ったままだ。
周囲が何かを言っているのは分かったが、何も聞こえない。どんな音も尊の耳には届かない。
違う。聞こえる。
心臓の音。誰かの?違う、自分の心臓。
それから、声。優しいあったかい声。
尊の名前を呼ぶ声。
目の前が突然、真っ赤に染まる。
ライラークが流す血のように紅く。
※※※※※※※※※※※※
首に巻いていたスカーフを外し、腕に巻きつけるライラーク。
出血は酷いが傷自体は神経にまで達してはいないようだ。
ホッと安堵の息を漏らして、マチェイは尊に視線を戻す。
十六歳の少女が一切の躊躇も見せずにテオドシウスたちを庇ったことには驚いたが、やはり普通の少女だったらしい。
ライラークの怪我を見て可哀相なくらいに硬直してしまっている。
本来ならば優しい言葉の一つもかけてあげたいが、まだ危機が去ったわけではないのだ。
辛辣なようだが、足手まといにはならないで欲しい。
「ミコトちゃん。ぼやぼやしてないで、あんたも早く逃げて」
動かない尊に業を煮やしたマチェイが尊の腕を掴んだ瞬間、
「ああああああぁぁぁ―――っ!!」
尊の喉から咆哮が上がった。
悲鳴のような慟哭のような、意味を成さない叫び。
驚いたマチェイは手を離す。
「ミコト!?」
「どうした、バカ女っ!」
テオドシウスやディア・ガディアスの声も届かない。
尊は座り込んだまま頭を抱えて、全てを拒絶するように首を振る。
「うわあああぁぁっ!!あああああああぁぁぁぁ!!」
癇癪を起こした子供のように叫ぶ尊の声に触発されたのか、グリフォンが空で鳴いた。
鳥とも獣ともつかない不思議な鳴き声。
そして、叫び続ける尊を目掛けて急降下してきた。
「危ない、ミコト!」
「皇子!?」
半狂乱になっている尊を庇おうとテオドシウスが前に飛び出す。
テオドシウスの背中を見つめる尊の目が、目尻が切れるのではないかと思うほど見開かれた。
「やだああああぁぁぁ―――っ!!」
今までにない声量で尊が悲鳴をあげた。
同時に尊の肩にしがみついているディア・ガディアスの身体が光を帯びた。
「この感覚……っ。あの時と同じ―――!?」
その場にいた誰もが尊と光るディア・ガディアスを見つめていたため、気付くのが遅れた。
空から迸る眩い閃光と鋭い雷鳴。
そして、断末魔の叫び。
頭上を振り仰いだ者たちが目にするのは、やけにゆっくりとした速度で墜ちてくる黒焦げのグリフォン。
「うぉっ!?」
地響きをたてて地面へと墜落した。
幸いにも誰もいないところに落ちたが、下敷きになった屋台はもう使えまい。
気が付くと、あれだけいた兵士たちの姿も見えなくなっていた。
たまたまいた黄昏の騎士(の活躍と、頼みの綱のグリフォンが原因不明の雷に倒れたからだろう。
「雷ねぇ?雲一つないってのに……」
細い煙をあげる黒焦げのグリフォンを見つめながら、信じられないとばかりにマチェイは呟く。
晴れ渡った空からは考えられない自体だ。
「運がよかったのか、それとも………」
横目で尊を見ると、だらりと腕を垂れて放心していた。
先ほどまでの狂乱が嘘のように脱力している。
「ミコト………?」
テオドシウスが、尊の肩に触れようとそっと手を伸ばす。
けれど、その手が尊に届く前に、尊の身体は糸の切れたマリオネットのようにゆっくりと前のめりに倒れていった。
「ミコト!ミコト!?」
「ミコト様っ」
気を失った尊の身体を揺さぶり声を掛けるが、尊はぴくりとも動かない。
「………………」
ディア・ガディアスが一人、無言のまま釦の瞳で尊を見つめていた。
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