第二章 最悪な目覚め
4.
「剣を投げてくるとは随分と卑怯な真似をするな」
「…………っ」
「薄情者ではないが卑怯者か?」
「違うっ!」
嘲る声に恐怖も忘れて尊は即座に反論した。
けれど、すぐに唇を噛んで俯いた。
(違わない。クライヴさんの言う通りだ……っ)
彼は確かに悪人かもしれないが、敵である尊に剣を渡した。
正々堂々と戦っている相手に、尊は剣を投げつけたのだ。
「違いません……。あたしは卑怯な手段を使ったから」
ぎゅうっと拳を握り締める。
どんな言い訳をしようと、卑怯だということは誰よりも……尊自身が分かっていた。
「そこまでして逃がしたかったか」
「……そうです」
「浅ましいな」
「……はい」
「開き直るか。お前には誇りがないようだな」
クライヴに鼻で笑われたが、怒りは湧いてこなかった。
その言葉に一つとして間違いを見つけることが出来なかったから。
浅ましく卑怯で誇りがない。
そうだ。その通りだ。そして、その通りでなければ尊に少年を守ることなど出来なかった。
「………誇りなんかであの子は救えない。そんなものに意味なんかない。あたしが弱いからあの子を守れないのに、そんなものを守ってどうするの?あたしはあたしに出来ることを全てするだけだよ」
「………………」
「守れる術があるのに、あたしの誇りのためにそれを放棄するの?そんなのはあたしの誇りの問題であの子には関係ないのに?だったら、誇りなんかいらない!浅ましくたって卑怯だっていい!あの子を守れる方法を選ぶ!!」
『卑怯』なんて大嫌いな言葉だ。
そんな真似してまで勝負に勝ちたいなどと思ったことはない。
自分一人ならば、勝ちが見えなくても正々堂々と戦っただろう。
でも、少年の命が懸かっているのに正々堂々なんて言っていられなかった。
どんな卑怯なことをしたって少年は守る。
喩えそれが、自分の信念やプライドを失うことになったとしても。
「逢ったばかりの子供を守るために、自分の誇りを捨てるか」
クライヴの腕が尊の首から離れる。
解放されたのかと思ったが、それは違った。
籠手のついた腕が尊の腰を絡めとる。
違和感を覚えた時には遅い。クライヴは尊を軽々と小脇に抱え上げてしまった。
何事かとクライヴを見上げようと仰け反らせた尊の首に、いつの間にか手にしていた短剣が突き付けられた。
「え?」
「テオドシウス・リーベ・ノルマール。陣の中に入れ。でなければ、この女を殺す」
「ええぇっ!?」
「動くと斬れるぞ」
「いえ、あの、その………もしかして、あたしが人質ですか?」
「そういうことだ」
予想外の展開にがくりと首を垂れる………垂れたかったが、短剣に突き刺さってしまいそうなのでやめておいた。
テオドシウス・リーベ・ノルマールと、やたらと長いのが少年の名前らしい。
尊は戸惑いながら、テオドシウスに視線を移す。
テオドシウスも尊を見ていたため、ブルーの瞳と視線がかち合った。
「いいよ」
テオドシウスが笑う。
基本的に子供と言う生き物が好きな尊が、胸をときめかせてしまった愛らしい微笑み。
「え?」
テオドシウスの言葉の意味がすぐには分からずに、尊は目を瞬いた。
テオドシウスは微笑んだまま、魔方陣へ歩みを進める。
「ちゃんとミコトを助けてね」
「来ちゃダメっ………!」
クライヴの手から逃れようと暴れる尊に、テオドシウスは不意に表情を変えた。
「ミコト、僕を助けてくれようとしてありがとう。でも、僕のためにミコトが傷つくのは嫌だよ」
哀しそうな、今にも泣いてしまいそうな顔。
泣くことを我慢することを知っている子供の顔だった。
その表情を見た瞬間、尊の頭に炎が灯った。
それは間違なく、初めてこの場で感じた怒り。
尊は息を止めると、左手で短剣の刃を思い切り掴んだ。
「な――」
手の平に走る痛みに耐えて短剣の刃先を首から逸らすと、クライヴの短剣を握る指に噛み付いた。
「っ!?」
噛み付かれた痛みにか、突発的な行動に怯んだのか、クライヴの手から短剣が離れる。
それは、完璧な彼に出来た僅かな隙だ。その隙を逃すわけにはいかない。
身を捩ってクライヴの腕から逃げ出すと、テオドシウスの元へ走った。
自分の血が滴る短剣を放り投げ、彼を庇うように自分に引き寄せる。
そして、クライヴを強い意志を込めて睨み付けた。
「こんなのおかしい……。こんなの間違ってる!!」
腕の中のテオドシウスをぎゅうっと抱き締めた。
「子供に自己犠牲を強いるなんて最低だ!子供っていうのは守るべき対象なんだよ?クライヴさん、すごく強いのに。強い人こそ、弱い人を助けなきゃいけないのに……。何のための強さなの!?クライヴさんはいったい何をしてるのっ!?」
恐怖も忘れて叫んだ。
強さとは人を守るためにあるのだと尊は信じている。
決して、人を傷付けるためのものではない。
だから、許せなかった。
尊が足元にも及ばない強さを持つクライヴが、テオドシウスを傷付けようとしていることが。
彼には尊が逆立ちしたって追い着けない強さがあるのに。
クライヴは魔方陣の中に投げ捨てられた短剣を拾うこともせずに、静かに尊を見つめている。
漆黒の仮面からは表情が読み取れない。
否定も肯定も言い訳すらしないクライヴに焦れて口を開きかけたが、変な音が聞こえてきて尊は口を閉じた。
まるで、虫の羽音ような不愉快な音が何処からか聞こえてくる。
「っ!?もう、間に合わない……。クライヴ、そこからどけ!!」
下から聞こえてくる布男の警告。
『そこ』とはいったい何処のことなのか。
「え?え?」
「魔方陣から離れろ!!」
事態が呑み込めずに立ち尽くす尊の腕を、クライヴが力強く引いた。たたらを踏んで、抱き締めていたテオドシウスごとクライヴに引き寄せられる。
腕を掴まれたまま視線を足下へ落とすと、さっきまでは墨かペンキで書いてあったはずの魔方陣が青白く光っている。
見る間に光は上へと伸びていき、尊の背どころかクライヴの上背すら越してしまった。
「な、何これ!?」
電飾では出ないだろう光の色に目を瞠る。
「あの、これっ……!」
「安心しろ。媒体がなければ、ディア・ガディアスはこちらに存在し続けることが出来ない。………お前のせいで儀式は失敗だ」
言っている意味の半分以上は尊には通じなかったが、とりあえず彼らの悪巧みが失敗したことは分かった。
その割にはクライヴが嬉しそうに感じられるが。
表情は仮面で分からないのだが、声が残念がっているようには聞こえない。
尊はクライヴに腕を掴まれたまま、眉を寄せてクライヴを見上げた。
どうも、彼のことがよく分からない。
さっきまでの態度では尊を殺そうとしていたし、テオドシウスを利用しようとしていた。
それなのに、今は。
(きっと……助けてくれたんだよね)
魔方陣の端を踏んでいた尊は、あのまま魔方陣の上に立っていたら危なかったはずだ。
悪い人なのか、良い人なのか。いや、恐らくは悪い人なのだろうけれど。
「あ、りがとございます………」
助けてもらったことは確かなので、尊は小さな声でぎこちなくクライブに礼を言った。
今までされてきたことを思えば言う必要など全くないとは思うのだが、尊の性格上どうしても無視することが出来なかった。
クライブの腕を掴む力が弱まり、こちらをまじまじと観察している雰囲気が伝わる。
急に恥ずかしくなって耳を赤くした尊は、視線を逸らして魔方陣を見つめた。
そこに信じられないものを見つけて、唖然として口を開ける。
「ポン太ぁっ!?」
目をこれ以上ない程に見開いて、尊は奇声に近い悲鳴をあげた。
尊の目に映ったのは光の隙間から覗いている一つの見慣れたもの。魔方陣の隅に転がっている、タヌキのぬいぐるみ………ポン太の姿だった。
両目とも裸眼で2,5と、テレビ漬け現代人とはかけ離れた視力をしているのだから見間違うはずがない。
「な、何でポン太が!?」
そういえば、愛用の木刀も落ちていたし、学校鞄も落ちていた。
事故にあったときに持っていたものがあるということは、この場にポン太がいても不思議なことではなかった。
何度も魔法陣を見ていたと言うのに、混乱と焦りで視界に入ってこなかったようだ。
「ポン太っ!!」
「おい!」
クライヴの手を振りほどき、テオドシウスの肩から手を離して、尊は魔方陣の中へと飛び込んだ。
躊躇なんて一切なかった。
人はたかがぬいぐるみと思うかもしれないが、尊にとってはただのぬいぐるみではない。家族の一員である『ポン太』なのだ。
魔方陣の中へと一歩足を踏み入れた途端、周囲の空気が変わる。暑いような寒いような………息苦しい感覚。
奇妙な圧迫感を振り切って前に進もうとすると、急激に光の輝きが増してきた。
「ポン太、どこ!?」
目も開けられないほどの光が辺りを眩く染め上げ、魔方陣の中に入った状態で動きを止める。
一拍後、凄まじい衝撃が尊を襲った。
「―――ぐぅっ!!」
何か見えない力に弾き飛ばされ、尊は魔方陣から転がり出された。
内臓が全部ひっくり返って、脳を泡立て器で掻き回されているような気色悪い感覚。あまりの激しい眩暈に立つことが出来ない。
「ミコト、大丈夫!?」
頭を押さえる尊の傍に駆け寄ってきたテオドシウスが心配そうに尊の顔を覗き込む。
いつの間にか魔方陣の光は収まっている。さっきまでの光が嘘のように、薄暗い室内へと戻っていた。
「……あたしは大丈夫。ポン太は………?」
魔方陣の中央へと視線を移すと、そこは濃い闇色の煙が立ち込めていた。
明らかに不自然な煙。尊は石畳に座り込んだまま少年の手を握る。
事態が呑み込めないながらも、良くないことが起こっているということは分かった。
横目でクライヴを見ると、彼もただ事ではないと思っているようだ。剣の柄に手を掛けている。
「人間界か……。久方振りだな」
煙の中から、男の声が聞こえた。
クライヴの掠れたハスキーボイスでもなく、布男のやや高めな声でもない第三者の声。
さっきまでは人なんかいなかったと言うのに、いつ登場したのか。
尊は顔を引き締めると、声の発信源である煙を睨み付ける。
「我が名は、ディア・ガディアス。我を呼び出しだしたのは誰だ」
徐々に煙が薄れてディア・ガディアスとやらのシルエットが尊の目にはっきりと映る。
「え?」
尊はこれ以上ないくらいに目を見開いた。
そのシルエットは、あまりにも尊に馴染み深いものだったからだ。
「我の身体を用意した暁に汝の願いを………って、おい!なんだよ、コレ!?」
いきなり、ディア・ガディアスのガラが悪くなった。けれど、誰もそんな些細なことには気付かない。
それよりも重大な出来事があった。
煙が晴れた後の魔方陣の中央に立つ、ディア・ガディアス。
彼の姿は………見間違うはずもない。
二本足で立つポン太だったのだ。
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