第一章 最悪の日

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  1.  

川山高校にある剣道道場を包み込むのは緊張を伴った静寂だった。
部員たちが見つめるのは道場の中央にある試合場。
竹刀を構えてじりじりと間合いを取る二人の選手を、息を呑んで見つめている。
黒い胴着をきた選手の前垂れには『高橋』と書かれていた。
高校男子の中では高い身長で肩幅も広く、見ているものを威圧する空気を醸し出している。
対峙する白い胴着の選手の前垂れに書かれている文字は『峰岸(みねぎし)
華奢な身体付きで身長も大分低く、力負けしていることは否めなさそうだ。
峰岸が一方的に不利に見える試合だったが、どちらかと言うと高橋の方が白の出方を窺っているようだった。
円を描くように摺足で動く二人。
先に動いたのは峰岸だった。
だんっと床に足を叩きつけるように踏み込むと、竹刀を振り上げる。
すかさず竹刀を上げて面を防ごうとする高橋だが、峰岸の振り上げた竹刀はすぐに型を変えた。

「胴っ!!」

振り上げた竹刀を素早く捻り、面の防御のためにがら空きになった胴に竹刀を叩き込む。
軽やかな音と共に勝敗は決した。
主審、副審から一斉に峰岸の勝利を示す白の旗が上がる。
それと同時に生徒たちの間から、わっと歓声が湧き上がった。
「峰岸、すげぇっ」
「部長に勝っちゃった………」
「さすがは川高の期待の新人!!」
ぱちぱちと道場内から上がる拍手に、峰岸の面をつけた頭が左右に揺れる。
面のために表情が読めないので推測にしかならないが、どうやら戸惑っているようだ。

「静かにしろ。まだ試合は終わってない」

静かな口調なのに道場内に通る声。
発したのは黒の胴着を着て試合場内に立つ……剣道部部長である高橋だ。
さして大きな声の叱咤ではなかったのに、道場内は水を打ったように静かになる。
礼に始まり礼に終わる剣道は、勝敗が決したからと言ってそのまま終わるわけではない。
それを思い出したと言うこともあるが、ほとんどの部員は高橋の威圧感に押されたから黙ったのだ。
二人は開始線まで戻ると、互いに礼をして竹刀を納めた。

峰岸は試合が終わると、どたどたと足音を立てて高橋の元へ駆け寄った。
「部長、ご指導ありがとうございました!」
深々と頭を下げる峰岸に、高橋は面を取りながら溜息をつく。
いくら先輩だからと言えど、負けた相手に礼を言われるのは癪だ。
「俺はご指導した覚えはない」
冷たく言い捨てた言葉に道場内からぴたりと喧騒がやむ。
部長である高橋は確かに剣道の腕前こそ強いが、稽古は厳しく言い方もきついので部員から恐れられている。
もちろんただ厳しいわけではない。誰よりも真剣に取り組んでいるからこそだ。
そして、だからこそ試合に負けた今は、峰岸の言葉は軽く流せる言葉ではなかった。
部員の誰もが蒼褪め、副部長が慌ててフォローをいれようと口を開くが、それよりも早く峰岸が口を開いた。
「どうしてですか?この試合には学ぶことがたくさんありましたよ。自分があんな風に動けるなんて初めて知りました。部長が相手じゃなかったらあんな動きは出来なかったと思います」
特に感情を込められず淡々と言われる台詞。
だが、逆にそれこそが峰岸が本気で言っているのだと伝わってくる。
「………世辞はいらないぞ」
「やですよ〜。思ってもないことをわざわざ部長に頭を下げてまで言いません」
けらけらと笑う峰岸に道場中が凍り付く。
けれど、高橋は部員たちの思いとは裏腹に峰岸を真っ直ぐと見つめた。
「次は負けないからな」
「望むところです!」
拳を上げて宣言する峰岸を見て口の端を上げると、高橋は部員たちを見回す。
「お前たちも気合い入れてけよ」
「「「はいっ!!」」」
居住まいを正し声を張って返事をする部員たちを見ると、高橋は道場の外へと出て行った。
恐らくは水道場へでも向かったのだろう。
高橋の姿がなくなると部員が一斉に峰岸の元へと群がった。

「なにやってんのよ、心臓が縮んだじゃない!」
「うあー、まだ手に汗かいてる」
「部長相手によくもあんなこと言えたよな……」
クレームをつけたり感心する部員たちに、峰岸は床に座りながら首を傾げる。
「へっ?何か変なこと言った?」
面紐を解きながらの峰岸の台詞に、全員が呆れたように肩を竦める。
峰岸はぴんとこないようで、面紐を掴んだまま不思議そうに部員たちを見上げている。
そんな峰岸に溜息をついたのは中学からの友人である智子(ともこ)だ。
天然ボケではないのだが、自分の行動は正しいと信じている峰岸はこうした時は話題についてこれない。
「もういいわよ。ちゃっちゃと面取れば」
「うん」
智子に促されて面紐を解くと、すっぽりと面を取る。
中から出てきたのは、高校生と言うにはやや幼く見える顔立ち。
栗色の髪は肩よりも短く、一見すると少年に間違えてしまいそうだが、にっこりと部員たちに笑いかける笑顔は少女のものだった。

峰岸(みこと)。高校一年生の十六歳。
それなりに整った顔だが、飛び抜けて可愛いわけではない。階級で言うならば中の上と至って普通。
けれど、くるくるとよく変わる表情が男女問わずに好感を持たれる、剣道部のマスコットのような存在だ。

「あー、暑かった。でも、本当に部長は強いよね。あんな緊張感はそこらの相手じゃなかなか出せないよ」
「そこらの相手で悪かったな。しかし、まさか部長にまで勝つとは思わなかったぜ」
「流石は全国常連よねー。こんなおとぼけた顔してるのに」
「誰の顔がおとぼけてるのさ!?」
ムッとしたように唇を尖らせる尊。
背もあまり高いほうではなく身体付きもどちらかと言うと華奢な尊だが、全国大会ジュニア部門のベスト8という実績を持っている。
外見と実績が一致しないためにこうしてからかわれる事もしばしばだ。
そんな尊を宥めるために梨絵(りえ)がよしよしと尊の頭を撫でた。
「まあまあ。剣道部全員に勝利したお祝いに、尊ちゃんが行きたがってたケーキバイキングを奢ってあげるから」
「え、本当に!?」
「ほんと、ほんと。ほら、ぼっとしてないでさっさと帰る支度しなさいよ」
「分かった!」
智子に促された尊は勢い良く頷くと、そのまま部室へと飛んでいく。
面を取るのはあんなに遅かったと言うのに、こういう時だけは動きが早い。

「こら、尊!面を片付けてからでしょ!!」
その場に置き去りにされた面を差し、尊の後ろ姿に智子が叫んだ。
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