16:大丈夫、世界はきっと君に優しい
「おい」海堂くんがじろりと睨みつける。「お前本気でやる気あんのか」
だって。わたしは言いかけた口をつぐんだ。口応えは諦めて、問題に向き直る。
わかんないよ。そう言いたかった。難しすぎるもん。
青学高等部への入学は、かなり厳しそうだった。中学を上回って、偏差値が高いその入試問題は、ちょっと前受けた模擬試験で偏差値55だったわたしには、到底解けそうにないものばっかりだ。
「こんなもん、中二の範囲だろうが……」そうつぶやく海堂くん。違うよと言いたい。公立中学校じゃ、まだ習ってない範囲も含んでるんだよ。
中等部にも落ちたわたしが、はたして、それより難しい高等部に受かれるんだろうかと、ずっと胸にあった不安がむくむくと育っていく。公立の学校でのテストすら、平均点を多少上回る程度の、ごく普通の学力だったわたしが、考えたくもないような偏差値の学校に受かれるわけがないのに。
海堂くんが溜息をついた。まるでわたしの心を見透かしたかのように、「やんねぇとできるモンもできねぇだろうが」と言う。
その予想外の優しい響きに、思わずわたしは顔を上げる。隣に座った海堂くんが、大きな手のひらでぽすんとわたしの頭を包みこむように、撫でた。
「海堂くん?」上目づかいに見上げるわたしを見ないようにするみたいに、海堂くんはそっぽを向いて、
「……お前が落ちたら、また一緒に学校通えなくなる」
つぶやくように、言った。
▲
17:ドーナツの角
そうか。
そう海堂くんは言うのだろう、とわたしは思っていた。それがどうした、とか、で、とか。とにかくそんなことは海堂くんには関係ないことで、わかってはいるけれど、つい確認したくなった(臆病なのだ、わたしは)。
「海堂くん、わたし今度告白しようと思うんだ」何気なく世間話をするように、わたしはそう言ってみたのだ。
「……はっ?」
予想に反して海堂くんはばっとこちらを振り返り目を大きく見開いて豆鉄砲をくらったように固まって動かなくなった。そんな海堂くんに逆にこちらが驚かされた。「へっ?」驚いて固まる二人、まるでセメントで固められたように、そこだけ時間が止まる。
先に動き出したのは海堂くんの方だった。「…………いつ、だ?」海堂くんにしては珍しく妙に焦っているように見え、脳のどこかで不思議に思いながら、「ううん、今週中かな」と適当にでっちあげる。
「……そう、か」海堂くんはそう言ったきりふさぎ込み、わたしは、やっぱりそうかって言ったなぁ、遠回りに予想が当たったことをぼんやり意識する。現状はまったく想定外だったけれど。
しばらくして海堂くんが顔を上げ、まっすぐにわたしのことを見つめてきたので、どうしたの、と言いつつ視線をそらす。
「……」海堂くんは少しかしこまった様子で、「なあに?」と返しつつも、頭の中では疑問符が増えていく。
やがて、短い静寂をはさみ、海堂くんがぽつりと言った。
「もしもおまえがふられたら、俺と付き合ってくれねぇか」
▲
18:さよならジュピター
おまえは太陽のにおいがする。
と昔に亮さんはにこっと笑って言って、ぎゅうとわたしを抱きしめたので、わたしは真っ赤になりながら、「苦しいです」と胸をたたいた。
今宍戸さんはぼんやりと教室の一角をにらみ……いや、見つめている。目の前のわたしなんて、いることはわかっていても、いることに意味はない。
ぽつんと取り残された空間の中で、一向にお昼を食べようとしない亮さんをよそにわたしはごちそうさまを言い、片づけもすませ席を立った。
「……あ」亮さんがはっと我に返り、悪ぃ、と言い切る前にわたしは人混みを壁にする。防音効果ばっちりのその壁は、同時にわたしを寂しくさせた。
亮さんは、最近ひたすらあんな様子で、わたしは自分がいる意味さえ感じない。お弁当はこれからも二人分作るけど、お昼は一人で食べよう。
次の日昼休みも残り半分というところで、不思議そうに迎えにやってきた亮さんを、わたしは「もう食べ終わりましたから」と追い払う。次の日も、次の日も追い払っていたら、とうとう亮さんはやってこなくなった。
▲
19:水曜のレイトショー
窓をたたく音がした。わたしはベッドから体を起こし、読んでいた漫画を放る。
カーテンを開けると見慣れた姿が、あけろ、と口パクでいった。向こうに見える桃くんの部屋の窓は閉じているけれど、カギは開いているのだ。
わたしもカギをあけて窓をひらく。ひゅうと冬の冷たい風が吹いた。「さんきゅ」「寒い、早く入って」にこっと桃くんは笑い数本のDVDをわたしに渡す。「ちょっと持っててくれ」わたしが受け取るなり、桃くんは窓枠に足をかけ、よっと部屋の中に入ってくる。
「今日は何?」DVDをざっと見てみると、動物感動モノっぽい作品ばかりだった。
「いかがわしいものかと思ったよ」「なっ、ンなもん、お前の部屋じゃ見ねーよ」「自分の部屋なら見るの?」「…………見ねえって!」少しだけ顔を赤くしながら、桃くんはわたしのテレビとPS2を勝手につける。
「一人で見ればいいのに」「一人だとさみしいだろ」トレイを出したまま、桃くんはすねたように笑った。「嫌かよ?」
「まぁ、別に」苦笑しながら、桃くんの隣に座る。「今日もまたラッシー?」二人の前に箱ティッシュも置いた。なんだかんだ言って、二人とも涙もろい。
「いーや、今日はラッシー以外のやつ」
そう言って嬉しそうに笑う桃くんの、横でやっぱり笑っているわたしは、その時セットされたDVDがホラーだなんて今はまだ知らない。
▲
20:木曜日のキッチン
窓をこつこつ、とノックした。窓が開いたのにびっくりしたのか、鳥が一匹飛び立った。
今は入らないで、という合図がないから、着替え中でもないんだろう。俺は窓を外から開く。まったく不用心なもので、カギもかかっていなかった。
「おじゃましまーす」冗談交じりにそう言って、窓枠に足をかける。まったく、制服っつーのはどうも動きづらくできてるよなぁ。
他人の部屋を我が物顔で、つっきる。たぶん、一階で弁当作ってんだろーなぁ。がちゃっとドアノブを開けて廊下へ。
おばさんが俺の姿をとらえたが、別に慣れっこになっている。「おはようございます、おばさん」そう笑うと、おばさんも笑い返してくれるのだ。俺の窓からの不法侵入は、今に始まったことじゃあねぇ。
肩にしょった鞄がずり落ちてきて、直す。階段を降りると、一定のリズムが叩かれているのが耳に入る。
今日のの弁当、何だろうな。お袋にも作ってもらってるけど、足んねえ。もっとも、に作ってもらってもやっぱ足んねえけど(海堂の食ってるやつの十倍くらい、あったらいいんだけどな)。
とうとう背中が見えて、それから、それが触れるくらいまでくる。俺が声をかけるより前に、
「おはよう」がニンジンをきざみながら言った。
「なんだよ、気づいてたのかよ」「桃くんの声は、馬鹿でかいからね」「……そうかぁ?」隣に並んで会話しつつ、の顔を覗き込む。
「…………お前、目、まだ腫れてんぜ」「……たまねぎだもん」「今切ってんの、ニンジンだろーが」「さっき切ったの!」「そんな長引くわけねーだろ!」
こらえきれず笑いだすと、がすっとひじ打ちをくらう。「ぐおぁっ!?」クリティカルヒット。
「ばか! 桃くんのばか!」「げほっ……ってー、なー、腹はねーだろ、腹は!」「わたしがホラー嫌いって、知ってるくせに!」「出来心だって、出来心」「さいていだ!」
まだじわじわと広がる痛みをこらえながら俺はこっそりと、昨日見られなかった、の好きなラブロマンスのことを思う。
▲