いつかもう一度
茜が射す。夕暮れの橙は暖かくて、いやに目に沁みる。開け放した窓から季節を感じさ
せない冷たい風が細く吹き込んだ。
「…ばかね」
私は泣くのを諦めた。
soleil
本部には誰もいない。事実上、私が追い出したことになるのだろう。考え事があるから、
とメンバーを解散させて、一人にしてもらったのだった。私は校長室で一人、黙って机の
上に脚を乗せていた。
不思議と涙は出なかった。みんなの前では泣けないと思っていたけれど、一人になれば
なぜか尚更泣けなくなった。
「日向くん」
私はふと口にした。
約束したあの日から、どんなに長い時間呼んできたのだろう、この名前を。一日に何度
も、その一日を何度も、私は繰り返してきた。でも、それももう終わりだ。あの笑顔も、
陽に透ける髪の色も、日向という、彼の全てを表したような愛嬌のある名前も、私はいず
れ忘れてしまう。
仕方のないことだ。人間は馬鹿で、いつか大切だったことも、時間とともに流してしま
うのだから。それを成長と呼ぶか、退化と呼ぶかはそれぞれの勝手だ。
私はオレンジ色に染まるからっぽの校長室を見渡して、いつも彼が座っていた場所をぼ
んやり眺めていた。ずいぶん昔からずっと、そこには彼がいたはずだった。
誰かが辛くなればその手を引いて、大丈夫と笑ってみせる。本当に賢くて、優しい子だ
った。気づけばいつも傍にいて、背中で私を励ましてくれた。あの笑顔に何度助けられた
だろう。
彼は、私の羽根だった。
日向くんはもういない。きっともう、私のことをゆりっぺとは呼んでくれないだろう。
次に生まれ変わるために。
それが世界の構造なのだし、彼の幸せでもあったのだから、私は笑っていてあげたかっ
た。長い間連れ添ってきた、私の大事な相棒だったから、幸せを喜んであげたかった。何
度もそういう人を見てきたし、今まではそうできていたはずだった。
私は、自分が完成された人間だと思っていた。
眩しすぎる夕焼けが嬉しかった。この部屋いっぱいに、この世界いっぱいに散らばる、
彼を思い出してしまうものたちを見ないで済むから。
「…ひな、た、くん…」
何年ぶりだろう、歪んだレンズ越しに私は世界を見ていた。零れ落ちる硝子の雫を拭う
こともできないまま。ぼたぼたと熱い体温が、手に首に降りかかってくる。
息を接げども接げども、瞳から落ちる涙はせきを切ったように溢れて止まらなかった。
それは、彼がいたから私は強くあることができたのだと、私に確信させた。
ああ、私は今、本当の意味で生きている。こんなことでしか実感できないけれど。
生命を維持するのとは違う、私は今、こんなにも生きている。
───私は強い人でいられたかしら、日向くん。
感謝の気持ちを伝えたくても、唇からは涙と嗚咽しか生まれない。届けられない言葉は
私の中をかけめぐり、後悔の念をかきたてた。
ありがとう、そんな簡単な一言さえ、伝えられないまま。
2010.05.29 にこら