死体ごっこ


 初々しい花を枝の先に飾る金木犀が、その小柄な花の丈には似合わない程の色香を装い、秋の日差しを目一杯に浴びる真白いシーツを揺らす風と交わった。昨日の晩、枕に押し付けた鼻先を漂った馨しさは、この花のもたらせたものだったのだろう。
 水菓子と共に差し出される若草色の日本茶が、そろりと細い湯気を立てるようになり、庭先で喚いていた蝉は土の上で白い腹を見せ、命を絶ち、代わりに、リリリリリ、と触角を震わせる鈴虫の声が夕暮れと共にこだまするようになった。薄いシャツ一枚では少し肌寒い空気が通り始めた秋の入口。一年を通して様々な色合いを見せるこの国で、この季節が一番好きかもしれない。隣に佇む日本にそう告げると、彼は器用に梨の皮を剥いていた手を止めて、ありがとうございます、と小さく会釈を返した。
「二〇〇〇年にはこの国から秋が無くなり、次第に夏が永遠に繰り返されると解いた方がいらっしゃいましたが、どうやらその心配はないようで、私も安心しております」
「それはよかった。季節の流れを美徳とするこの庭が崩れる姿は見たくないからな」
「イギリスさんのお宅と比べると、たいした庭ではないと思いますが……」
 後ろめたく笑いながら、日本は兎の形を模した梨の並ぶ皿を差し出した。
「器用だな」
「今朝、向かいの梨園から頂いたものです。おいしいですよ」
 日本は横一列になった白い兎の胴に、一本ずつ楊枝を突き立てていった。なんともシュールな光景だ。しかしみずみずしく光る果実は、夕食前のささやかな空腹感にはなんとも魅力的に映り、イギリスは摘み上げた楊枝の先から兎が逃げ出さないように、僅か二口で一気に梨を頬張り尽くした。
「うん、美味い」
「蜜がたっぷり含まれていますから」
 シャリシャリシャリ……。果肉を砕く音が咥内から鼓膜へダイレクトに響く。舌の上に広がる蜜の味や噛み締めた時の感触は、同じ名称持つヨーロッパで流通されているものとは少し異なっていた。固い実に隠れた甘さと、その裏に潜む酸っぱさは、東洋の何たるかが編み出したものなのだろうか。そもそも果物の元の形から差異があり、イギリスが初めて背の低い木にぶら下がった黄緑色の実を見たとき、それが緩やかな球を描いていて、同じように目を丸くして驚いたものだ。

 イギリスが三匹目の兎に手を伸ばした時、日本はまだ一匹目を食べ終えたばかりだったので、日本に合わせてイギリスは口を動かすペースを少し落とした。思うままに食い意地を張っていると、きっと日本の脳裏にアメリカの姿をチラつかせることになるだろう。それはあまり好ましくない。
 噛み砕かれる音が絞られて、また鈴虫の鳴き声が耳に纏わり付く。その時、合間にコロコロコロ、とコオロギの鳴く声が紛れ込んでいたことに気付いた。続いて東から風が吹くと、庭に根を張る松の葉が擦れ合い、更にはそれを真似るかの如く、どこからか蛙がゲコリゲコリと喉を鳴らせた。
 一つ息をつく度に感ずる数多の生命の働きは、古来より日本の国民へ様々な物語の欠片を差し出した。目に見えるものだけでなく、土の湿った香りだとか、幼い芽が風にふらつく音だとか、呼吸の間に忍び込む息遣いを直接肌に浴びて、普段は九時間もの時差の壁の向こうで生活をするイギリスにも、今ならば自然の中に八百万の神を見出だす≠ニいうこの国の特異な信仰を理解出来る気がした。気付けば丑三つ時でも人工の光が眩しく溢れるようになってしまったこの国だが、尚も人ならぬ存在の神秘性は人と同じ時を刻んでいる。日本はそれを表立って自慢にしたりはしないが、古くから伝わる信仰が、人々の遺伝子の奥底で死ぬことなく組み込まれ続けているだなんて、誇るべき素晴らしいことだとイギリスは思っている。
「私、死んだふりが得意なんです」
 不意に日本が漫ろと言った。
「は?」
 梨の甘味と美しい自然の摂理を前に、少々思考が飽和されていたもので、イギリスは日本の言葉を聞き間違えてしまったのではないかと思った。
「死体を真似るのが得意なんですよ」
 しかし日本は、イギリスにそれが空耳であるという可能性を浮上させる余地も与えず、すぐにもう一度言葉を変えて言った。
「あぁ、梨はまだまだたくさんあるので、遠慮しないで食べてくださいね」
「あ、あぁ。ありがとう」
「じっとしていると私が全部食べてしまいますよ?」
 日本はイギリスの指先が触れようとした梨を手早く取り上げ、気持ちのいい音を立てて梨を齧った。薄く藻の張る池の水面を跳ねる鯉の、煌びやかな鱗を思い起こす音だ。
「……聞いてもいいか?」
「はい。なんでしょうか」
「なんだって? 死んだふり?」
 日本は右手を軽くあげて、待ったのサインを示し、口の中で梨を砕く。日本の白い歯に削り取られていく果肉の音がこちらにも響いた。
「……失礼いたしました。えぇ、死体ごっこです。昔よく遊びませんでしたか?」
「いやしない……。あまりいい趣味とは言えない遊びだな」
 そうですか? と日本は口元に拳を寄せて俯く。
「この国の子供はよくそうして遊んでいるんですけどねぇ」
「どういう遊びなんだ、それは」
「どう、と言われましても。言葉の通りですよ。適当な場所でただじっと動かずに寝そべっているだけです」
「そ、それは楽しいのか?」
「中々に粋なものですよ」
 イギリスが苦虫を噛み潰したような表情を浮かべると、その複雑な目を前に、日本は意を用いて言葉を続け始める。
「私の体が小さかった頃、一人で遊んではよく周りの人を困らせていました。ご近所の中でも抜きんでて上手かったようです。初めは家の中で。それに飽きると池に体を浮かべてみたり、人の賑わう町中でバタリと倒れてみたり」
「迷惑な遊びだ……」
「やってみせましょうか?」
 過去の記憶を掘り上げて、日本は喉の奥でクツクツと笑った。子供じみた日本の珍しい表情にイギリスの心臓は高く血液の波を打ったが、連動して頬を染めて慌てふためく前に、イギリスは湿った眼で日本の眼を覗き込んだ。
「お前がやりたいだけだろ?」
「まぁいいじゃないですか。何十年かぶりですので、まばたきをするタイミングを読む腕は落ちているかもしれませんが、いきますよ」
 日本は失礼いたしますと一つ礼を打ってから、食べかけの梨を皿の上に置いた。そして几帳面に畳んでいた足を崩し、薄い唇の合間から深く息を吐き出した。信聖なる儀式でも執り行うのか、日本の目は真剣そのもので、しかしこれから実践してみようとするものは、なんともくだらないお遊びである。イギリスが溜息をつこうと思ったその瞬間、歪むことなく伸びていた日本の背中が突風に吹きつかれた案山子のように、緩やかな弧の軌道を描いて、ぱたんと硬い畳の上に倒れ込んだ。
「おぉ……」
 あまりにも自然なその動きに、イギリスは思わず感嘆を零した。畳の上に体を投げ出した日本は、焦点の合わない黒い瞳を虚に濁らせ、こてんと首を横に倒し、織り合う藺草のどこか一点を感情無く見つめている。
「おーい、にほーん」
 彼の目の前に手のひらを翳してみる。動かない。意地悪く眉間に人差し指を突き立ててみても、日本は僅かな皮膚の揺れすらも見せなかった。
「日本、大丈夫か? まばたきしてるか?」
 遊びとはわかっていても不安になるくらいに、日本は体を硬直させている。あまりにも完璧に死体の役を成す彼の姿を見て、話を聞いた時には呆れていたイギリスも、この遊びに興味を持ち始めてきた。だらしなく四肢を投げ出す日本の隣にイギリスも寝ころんでみる。そして至近距離から彼の顔を覗き込む。普段ならば急速な接近を極端に嫌う日本だったが、目の前のイギリスの姿が見えていないのか、肩の一つも震わせず、石になって動かない。悪戯に日本の手首を掴んで肘を支えに持ち上げてみても、イギリスが手を離せば、力の行き届いていない腕は重力に逆らうことなく畳の上に叩きつけられた。
「すごい、人形みたいだ……」
 きめ細やかなクリーム色の肌は、間近で見続けていると陶磁器であるのではないかと錯覚する。肌だけではない。日本の黒く広い瞳もイギリスにとっては人体のパーツとして酷く現実離れをしているので、彼が自分と同じ配列に則って身体を構築しているということを忘れてしまいそうになる。
 不思議だなあ。神秘に満ちた体に触れたくて、曖昧な体温を所持したままの日本の指に、自身の指をそっと絡めた。やはり死体になった日本がこの指を握り返すことは決してない。
 何もくれない。けれど何も抵抗はしない。まるでうんざりするほど語られてきた、シェイクスピアの戯曲のようだ。イギリスはそっと眼を細め、寝転ぶ日本にするりと体を擦り寄せた。
 ――ああ、なんだか二人心中しているみたいだね。
 胸に蔓延る奇妙な幸福感は、口から漏らさずにそっと仕舞いこんだ。ここでイギリスがそれを声にした所で、相槌を打つことすら出来ない日本に届く言葉なんて何一つない。

 梨の甘みはもうイギリスの口の中から消えていた。その代わりに、音を立てる者を失った家の周りでは、人ならぬものたちが盛大なオーケストラを奏で出す。涼やかな秋の交響曲は、イギリスをそっと夢の内に誘っていく。

 鈴虫鈴虫、コオロギコオロギ。
 松の葉松の葉、蛙蛙。

 この音たちは、秋を渡り冬と巡り合う日を心待ちに鼓動を高鳴らせているのだろうか、それとも冬に迎える命の終わりを前に嫌だ嫌だと逃げ惑う泣き声なのだろうか。
 そういえば。日本の好きな季節は春であったと、次第に薄くなっていく視界の中で、イギリスは百五十年前に交わした会話を思い出していた。ここでも正反対かと口端を緩め、やがてイギリスは生気の失われた日本の瞳に潜りながら瞼を落とす。閉じる意識の片隅で、僅かに日本の指先に力が籠った気がした。
 八百万もの神々に見守られながら、二人は緩やかに死体になる。





2009.September


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