「明日、会いに行ってもいい?」

 俺がそう言うと、彼女が電話越しで「ヤだ」ときっぱり言った。意地っ張りな性格は昔と変わっていないな、と思った。思わず苦笑すると、彼女が不服そうに「何で笑ってるの!?」と怒る。彼女と話す度に思い知るのは、やはり俺は、彼女の虜になってしまっているのだなということだ。「…そうだね。だけど、もう遅い。俺はそちらに伺うと決めてしまった」そう言うと、何か言う彼女の声が聞こえたが「じゃあ、また明日」と知らない振りをして、受話器を置いた。

「キラト様」
 振り返ると、全身黒の洋服を纏った女性が居た。この屋敷で働く召し使いの翡翠ヒスイだ。ゆっくりとキラトに歩み寄り「明々後日のことですが、どう致しましょう」と尋ねた。

「ああ、いいよ。予定通り決行する。準備、お願い」

「畏まりました」そう言って翡翠は部屋から去ろうとしていた。すると何か言い忘れたのか、振り返って名を呼んだ。「キラト様」翡翠は続けた。

「キラト様。彼方が――深誘みゆうさんとお話される時、表情がとても軟らかいのですよ。ご存知でしたか?」

 は? 翡翠の言葉に、キラトは動揺を隠せなかった。何を言い出すのか、と眉を顰め「知らないよそんなこと」とぶっきら棒に言った。

「そうですか……。それより、唐突にこんなことを申し上げ、すみません。天候もあまりよくありませんし、家でゆっくりなさって下さい」
 そう言って微笑んだ翡翠は、キラトに軽く会釈をし、部屋から出て行った。

 彼女、深誘に、どうしても云っておきたいことがあった。







 ピンポン、とインターホンが鳴った。
 深誘はその音で目が覚めた。再び、ピンポンと聞き慣れた機械音。ピンポンピンポンピンポンピンポンピンポン。立て続けに、玄関コールのラッシュ。時計を見れば、まだ朝の四時だ。

「――〜っ、誰よこんな時間に!」

 深誘は玄関の戸を開けた。そこには男が立っていた。深誘は呆然とした。

「あ。お早う、深誘」

 あの男だった。まさか、本当に来るとは。あっさり施錠を解いてしまうなんて、迂闊だった。

「……今、何時だと思ってんの?」

「…、朝の四時?」

「当たり。ていうか、あんなに鳴らさなくても来客だって事ぐらい解ってるのに」

「あれ、聞こえてた? 中々出てこないから、てっきり壊れてるのかと」

 しれっとした顔で言った。言いやがった。
 徐々に自分の中にある怒りのボルテージが上昇していく事が、自覚できる。

「寝起きの状態なのよこっちは……」

 本当、悪気というものがないらしい。
 キラトは呑気に「深誘、若しかして寝てた? 人間は、遅くまで寝てるんだね」と言った。

「こんな時間に来るアンタが非常識なのよ………って、」

 ああ、そうか。
 キラトは、人間の血を吸って生きる吸血鬼ヴァンパイアだ。吸血鬼は人間と違い、夜に活動する。その事を思い出して、深誘は溜息を吐いた。
 キラトと深誘は、特別な関係にある。吸血鬼であるキラトは、人間である深誘の血を吸ってはいけない。このように、2人は契約を交わされた特別な関係なのである。

「で、何の用なの?」

「明々後日――いや、明後日の宴会に誘いに来た」

 自分の中の何かが、音を立てて、切れた。

「絶――――っ対行かないから!」



     ***



 唯の生活するアパートの大家に、「五月蝿い!」と怒られたため、キラトと唯は近所の公園に訪れた。

「唯が大きい声出すから、見つかったじゃん」

「それはすみませんでしたね」

「別に俺、怒ってないよ」

「じゃあ何でそういうこと言うのよ!」

 「俺、唯を怒らせてばっかりだね」「全くよ」



























「そうだ。俺ん家、行こう」

「そんな、京都行こうみたいなトーンで言わないでよ…」

 唯は困った顔をした。
 京都とは。ああ、地名のことか。キラトは理解した。勿論、人間のことについて、少しは勉強している。









 沈黙を破るのは、いつも彼女だ。
 本来、人間は寝ているはずの真夜中に、ましてや吸血鬼の宴会に来いだなんて、ふざけた話だ。しかし、そんなことは解っている。キラトは、無理を承知で唯を真夜中の宴会に招待した。

「他の吸血鬼共が唯に近寄ったら、手を出そうとしたら、俺は断固としてそれを止める。何があっても、唯を危ない目には遭わせない。絶対だって、誓うよ」




 人間が吸血鬼たちのテリトリーを出入りすることがどれだけ危険か承知して。それでも俺が、唯に宴会に来てもらう事をこんなにも懇願している訳は。それは、唯と少しの間でも一緒に居たいからだ。
 自分勝手でごめん、唯。







 宴会は既に始まっていた。

「唯」

 唯は遅れてやって来た。キラトの傍までやってきて、「ごめん、道に迷ってた」と言った。

「別に、気にしないよ。それより、雨降ってるけど、身体濡れてない?」

「平気」

 唯は折り畳み傘を持参してきていた。唯は、裾に大人しくレースがあしらわれたワンピースとハイヒールを身に着けていた。全体的に白色で纏めた格好をしており、     。思わずキラトが「可愛いね、唯」と言うと、かあっと耳まで赤くして「洋服が、でしょ」と反論した。









「この死に損ないが」



     ***














「唯って女は」

 かあっと、頭に一気に血が上った気がした。腹が立った。許せなかった。目の前にいるコイツを殺したくなった。そして俺は、動揺していた。

「誰が、そんな、根も葉もない噂なんか」

 途切れ途切れの、情けない言葉が発される。『  』は、はっ、と小馬鹿にするように嘲笑し、「温いね、」と言った。

「アンタの女だからだろ? …キルティル王子・・・・・・・



     ***



 その時、男の悲鳴が城中に響いた。

「ティル王子!?」

 執事の男が、キラトの傍に駆け寄った。キラトは激しく上気していた。一瞬、執事を睨みつけ、そのまま――執事に身を預ける状態で、気を失った。「どうかされましたか!?」そう言って家の者が駆け寄り、何事かと様子を見に来た客人がキラトと執事を取り囲んだ。「……如何やら先程の悲鳴は、この男のようですね」そう言って、執事は床にうつ伏せで倒れている『  』を指した。「私は、ティル王子を医務室まで運びます。貴方たちには、この男の始末を頼みたい」執事がそう言って踵を返すと、『  』家に仕える男性陣が「解りました」と答えた。


「目が覚めましたか?」

 キラトは理解ができなかった。ここはどこだ、宴会の最中じゃなかったのか、俺はどうして。ふと、記憶が呼び起こされた。そうだ、俺はあの男を――

「今は少し、考えるのはお止め下さい」

 エルドがキラトの思考を遮った。「ティル王子。私は貴方に、訊きたいことがあります」事の一部始終は、記憶を頼りにある程度理解した。キラトは、仕方ないという表情で「解ったよ」とエルドに応じることにした。

「だけど、その前に」
 話を遮ったのは、キラトだった。「俺も訊きたいことがある」キラトはエルどの目を見た。「解りました。その訊きたいことというのは、何でしょうか」エルドは応じた。

「唯は、どうしてる」

「メイドに、一旦保護をするようにと頼みました」

「…そう、」キラトは心底安心したような表情を見せた。「で、アンタの訊きたいことって?」『    』

「そう、急かさないで下さいな。しかし内容なんて、もうお解りでしょう?」
「うん」キラトは続けた。「俺の真意について――、」

 エルドは薄ら笑いを浮かべ「左様です、王子」と、答えた。

「俺は、この家を継ぐ心算は、全然ないよ」



「ここまで良くしてもらって悪いけど、1年後――18になったら、この家を出たいと思ってた」

 エルドは目を伏せた。「…それを、お父様に仰ったことはありますか?」
「無いよ」キラトも目を伏せ、「言えるわけ、ない」と言った。

「お父様は、貴方に自由をさせたいと仰っておりました。王子、貴方の気持ちを話してみては如何ですが。決して、お父様も悪くは仰らないでしょう」

 エルドは儚い気持ちでいっぱいだった。
「私も、それが一番良いと思います」

 エルドは優しく微笑んだ。























































「俺はもう、唯のことを護れない」

 しん、とした空間に2人の呼吸が響く。

「…それでも私は、キラトのことを、忘れたくない」

 キラトは唯を抱き締めた。





























 突き放す様にして押し倒した。否、強い力を与えたにも関わらず、深誘は気付く風もなく、寝息を立てて深い眠りに落ちていた。
 キラトは、仰向けの深誘を覆う様にして、身体を重ねた。細く柔らかな髪に触れ、そのまま持ち上げ、軟らかな口付けをする。深誘の身体からは、客の中の誰かしらから移ったのでだろう香水の匂いがした。目線を上げ、深誘の顔を見た。子供の様な寝顔だった。それに自身の顔を近づけ、静かに唇と唇が重ねる。人差し指で、摩る様に深誘の唇を触れ直す。深誘の唇は、柔らかかった。
 静寂は静かに過ぎる。
 ジレンマ、パラドックス、センチメンタル、エゴイスト――、矛盾。
 キラトは、深誘の着ているワイシャツの襟にあるボタンを二つ外し、首から鎖骨まで人差し指の腹を這う様にして、そっと触れた。

「………ごめん、」

 ただ、好きなだけなのに、どうして。
 どうして、罪をきせられなければならないのだろう。
 キラトはそのまま、深誘の首元に顔を近付け、噛み付く様にして、口付けた。







 柔らかな感触が残っていた。
 深誘は自分の唇に触れた。身に覚えのない、柔らかな感触。普段感じる事の無い、違和感。まだ寝惚けている頭を何とか起こし、昨日の出来事を反芻した。が、お酒を飲んだ後の記憶が、全く残っていなかった。マズいぞ、どんだけ飲んだんだ私。というか、飲まされた。思い出しただけで気持ち悪くなる。ああ、あれもこれも全部、あの男の所為よ―――深誘は驚愕した。隣で、奴――キラトが眠っていた。
 は!? 何で!? ていうかこれ、ダブルベッド!?
 深誘は急に恥ずかしくなった。同時に、とても居た堪れなくなった。昨夜、自分は何を遣らかしたのだ。一つ思い当たって、自分の身体を見直した。…服は、着ていた。
 狡猾な奴らの  に巻き込まれて、怖い思いさせるわ、心臓に悪いわ、心配させるわ――。彼は『      』。

「……バカ、」
 そう声に発したは良いが、掠れて普段の声が出なかった。昨夜酷く酔った所為か、喉が嗄れていた。冷蔵庫を覗いたが、水さえも入っていない。とりあえず、顔を洗おう。深誘は洗面所に向かった。
 自分の家じゃない場所で、いつも自分が行う事をするというのは、何だか不思議な気分だった。
 深誘はある事に気付いた。

「何、これ……?」

 首筋に、赤く充血した小さな痣の様なものを見つけた。いつ、こんなもの。そう考えていた時だった。

「ぬあっ」

 背筋がぞっと凍った。耳朶を軽く抓まれ、耳の穴に息を吹きかける。

「キラト! おっ、起きてたの!?」

 こんな事をするのは、奴しかいない。

「何その喘ぎ声。色気無いなぁ、ていうか萎える」

「喘いでないし! つか色気もへったくれも無い女で悪かったわね!」

「セックスアピールの欠片もないなんて、言ってないよ」

「その言葉そっくりそのまま返します――!!」

 本当、とことんムカつく男だ。
 そっくりそのまま返す、なんて言ってしまったけれど、奴は女性が惹かれるのも納得する様な色気が、充分にある。

「ていうか今、朝だけど大丈夫なの」

「暗い時間に寝ちゃったお蔭で、身体が麻痺してる。あ、心配してくれてるの?」

「しっ、しないよそんなの」

「残念」

 口はそう冗談めいて言ったが、表情は辛そうだった。驚いた。深誘は、彼のこんな顔を見たのは初めてだった。

「ごめん」

 え、と思った。キラトは自身の身体を深く曲げ、謝罪の意を示していた。

「俺の所為で、深誘を巻き込んだ。俺の所為だ。俺を憎む奴がいたから」

「キラトは悪くない」

 考える間もなく、口が動いていた。

「キラトにあの人達が、どんな憎悪の感情を抱いているか知らないけど、でも、あんな卑怯な事をしても、何にもならない。それに、もしキラトが逆の立場であっても、あんな事をしようだなんて絶対思わないでしょ」







「本当は、深誘の全部を、滅茶苦茶にしてやりたいけど」

「…、うん」

「俺も、謝らなくちゃいけない事しちゃったし」

 う――、ん? 異変に気付く。キラトは風の様に笑った。

「痕、残っちゃったね」

 擦れ違い様に―――ふっ、と深誘の首元を人差し指で優しく触れた。あ、血は勿論飲んでないけど。そう付け足して深誘の元を去る。え、ちょっと、待て。どういう事だ。

「っ、まさか…!」

 奴はこっちを振り返り、優しく笑ってみせた。
 だ、誰に似たんだ。このヤな笑い方。


***


「どうしてキラトに、家を出る事を勧めたのだと思います?」








「ご主人様〜ぁ。エリル、お腹が空きました」
 そう言うものだから、

「何か甘い物でも舐ってろ」
 と、言ってやった。


You win!




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